いまから85年前のきょう、1932年3月5日、三井合名理事長の團琢磨が三井本館(東京・日本橋)の玄関前で銃撃され、当日死亡した。享年75。犯人の菱沼五郎(満19歳)はその場で逮捕される。菱沼は、「血盟団」という組織の一員だった。
血盟団の中心人物は井上日召という国家主義者で、茨城県大洗の「立正護国堂」に若者を集めて国家革新の思想を吹きこんでいた。日召は前年、陸軍内部でのクーデター計画にかかわるも未遂に終わり(十月事件)、新たに海軍の急進派将校と組んで計画を立てた。計画は二段階に分けられ、第一次計画では政財界の要人を暗殺し、それが成功したところで、第二次計画として海軍側が大規模な破壊活動を行なうことが企図された。これにしたがい、本年2月9日にはまず、前大蔵大臣の井上準之助の暗殺が決行されている。
井上準之助の暗殺後、三井社内には万が一の場合に備えて対策本部が設けられた。團琢磨も防弾チョッキをつけるよう勧められたが、重くていやだと拒んでいる。当日は午前10時から役員会が予定されていた。しかし、寝坊しがちだった團はこのときも遅刻してなかなか現れず、電話で催促されて、11時半頃ようやく出社したところを襲われた。このとき團邸に電話をかけた文書課社員の江戸英雄(のちの三井不動産社長)は、「自分が電話しなければ……」と悔やみ、後年、團の孫で作曲家の團伊玖麿に謝ったという(江戸英雄『三井と歩んだ七〇年』朝日文庫)。
菱沼の犯行後、血盟団の団員14名が逮捕、3月11日には井上日召が自首した。計画では当時の首相・犬養毅ら数名の政治家も標的となっていたが、日召は二次計画の存在を警察に明かさなかったため、その2ヵ月後には「5・15事件」が起こる。なお、血盟団という名前は、取調べ時に担当検事がつけたものとされる。
日召は1934年、菱沼と、井上準之助を殺害した小沼正とともに無期懲役の判決を下されたが、のち恩赦で出所。晩年は小沼の世話を受けながら、1967年3月4日に満80歳で死去する。ちなみに、その2年後に公開された東映映画『日本暗殺秘録』では、日召を片岡千恵蔵、菱沼を八尋洋、小沼を千葉真一が演じた。当時、菱沼は改名して茨城県会議員となっており、のちには議長も務めた。