1ページ目から読む
3/3ページ目

「変わったんじゃない、変えたのよ」

 人見から更に時代は下り、1963年。第45回『火の鳥』において、「東洋の魔女」と言われた日本女子バレーの選手たちは、バレーの練習を「やりたくてやってるんだ」と叫ぶ。結婚をするのが今よりももっと当然だった時代だ。コーチに婚期を心配され「もっと普通の青春をしたほうがいいのでは」と言われた際、選手たちは自ら「婚期なんて関係ない、こうしてバレーの練習をするのが私の青春だ」と喝破する。


 この様子を見た主人公・田畑は言う。「変わったのかなあ、変わったよねえ」と。

 他人の期待を背負ってスポーツをしていた人見絹枝の時代から、自らのためだと叫んでスポーツに身を投じる女子バレーの時代へ。女子スポーツ界も変わったね、と無邪気に述べる。

ADVERTISEMENT

 しかしそれに対して、田畑の妻は微笑みながら、呟く。

「変わったんじゃない、変えたのよ」。

 今は当たり前だと思われている、女性が運動すること、足を出して走ること、プールで泳ぐこと、オリンピックに出場すること。それは決して自然なことではない。

 女性が走るなんて、と言われた時代になお走り、戦い、リレーを続けた先で、やっと風向きを「変えた」のである。

「自分のために走ること」が難しかった時代からのリレー

 たとえば一人の戦国武将の生涯を描く大河ドラマとは異なり、『いだてん』は、主人公が代わり、時代が変わる様子を描く大河ドラマだ。伴ってヒロインも、ヒロインを取り巻く環境も変わっていった。だから日本女子バレーボールの物語を見た視聴者はきっと思う。

 ああ、ここまで来るのに、ずいぶん遠い旅路だった、と。

 20代の女性たちが、結婚せずバレーボールで世界一を目指す練習を続けることが、こんなにも歴史を積み重ねた末にある出来事だったことを、視聴者は知っている。各時代の女性スポーツ選手たちは、次の世代へ「女性が自由にスポーツをできる時代」を渡す。まるで駅伝のたすきを渡すように、あるいは聖火リレーの火を渡すかのように。靴下を脱いでも怒られた時代から、オリンピックに出場できる権利を勝ち取り、そして結婚せずにバレーを練習し続ける自由を得た時代へ。

「東洋の魔女」と呼ばれた日本女子バレーの選手たち ©共同通信社

 だとすれば、オリンピックだけでなく、いま女性が普通に過ごしている生活そのものもまた、前の世代の女性たちから火を渡された産物だということに気づく。

 日本が近代という時代を走り続けるとき、同時に「フェミニズム史」というものも静かに、だけど激しく躍動していたことを、知る。

 誰のためでもない、自分のために走ること。それだけのことが女性にとってどれだけ難しかったか。『いだてん』のドラマもまた、次の世代へ渡される火となる。

 変わったんじゃない、変えたのだ。そう述べる『いだてん』のヒロインたちは、たしかに私たちに近代オリンピック史のもうひとつの側面を伝えてくれている。