ペルーでの苛酷な生い立ち
熊谷署から逃走した前日の12日朝、ナカダは派遣会社の担当者に電話で突然、「背広を着た人に追われていて工場に行けないので辞めます」と告げ、以後、連絡がつかなくなった。
ナカダは05年に来日後、関東、中部、関西、九州など各地で自動車部品工場や食品製造工場などの仕事を転々としていた。日本には兄2人、姉2人がいるが、ペルーの現地報道によれば、「バイロン(ナカダ容疑者)は孤独で、恋人はおらず、兄弟が一緒になることもなかった」という。
10年間も日本に滞在していながら、日本語の習得もままならなかった。凶行に至った背景に言語の壁による孤独があったことは想像に難くないが、それ以上に注目すべきは、ペルーでの苛酷な生い立ちだろう。
1985年8月29日生まれ、身長164センチ。本国で発行されたナカダの身分証に記載されている出生地は首都リマ郊外の「エル・アグスティーノ」という地区だ。
ここは南米の貧困地域として知られる「ファベーラ」で、痩せた赤土の荒涼とした丘の上に、掘っ立て小屋のようなボロボロの家がいくつも立ち並んでいる。
ペルーに在住経験のあるジャーナリストが語る。
「貧しい家ほど丘の高い場所に住み、電気、ガス、上下水道も通っておらず、住人が勝手に電線を引っ張って来たりする。水はたまに来る水売り業者から子供が買いバケツで運んできます。大勢が狭い家にひしめき合っているような環境で、何年か住んでいるうちに土地の所有権が認められます」
“死の使徒”と呼ばれたシリアルキラーの兄パブロ
ナカダは11人きょうだい。そのうちの1人、兄ペドロ・パブロ・ナカダ・ルデーニャ(42)は過去に25人を殺害した“ペルー最悪のシリアルキラー”として知られている。
「兄パブロは、ペルーでは“死の使徒”とあだ名されています。05年1月から06年12月まで殺人を繰り返し、立件されたのは17人で懲役35年の刑に服しています。本人は『25人殺した』と自供している。殺した相手はゲイやホームレス、売春婦、犯罪者で、拳銃で頭を撃ち抜くやり方。本人は『自分は掃除人だ。神が俺に命じた』と語っています」(多嘉山氏)
今回の日本での殺人を受け、ペルーでは「兄弟あわせて31人を殺した」と連日トップニュースで報じられている。
ナカダの父・ホセはアルコール中毒で、家庭内暴力が酷かった。母や殺人鬼の兄パブロ、ナカダ本人も鉄の棒で殴られたりしていたという。きょうだい11人のうち、上の姉2人だけは父親が別だ。