忙しくても1分で名著に出会える『1分書評』をお届けします。
今日は尾崎世界観さん。
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小さい頃、毎年夏休みになると2週間程、母親の実家がある高知県に帰省していた。
弟と2人、兄弟にとって、年上の従兄弟と過ごす時間はかけがえのないものだった。
真夜中にみんなで、レンタルビデオ屋で借りたゾンビ映画を見た後に、怖くなってトイレに行けなくなったのが懐かしい。
決意を固めて暗闇の中、小さな灯りを頼りにゆっくりと歩き出す。
ピンと張り詰めた空気を体で割ると、静寂が耳に痛い。階段を踏みしめる音が聞こえるだけで心臓が口から飛び出そうになって、トイレの水を流す音で得体の知れない化け物に居場所がバレてしまうのではと体が強ばる。虫の鳴き声と川を流れる水音の奥で、何かの叫び声が聞こえたような気がした。
やっとの思いで潜り込んだベッドの中に、冷んやりとした布団の感触と自分の体の熱を感じて、ようやく緊張が解けた。 安心して目を閉じると、虫の鳴き声と川を流れる水音の奥で、今度は確かに、弟と従兄弟の寝息が聞こえた。
「帰りにマクドナルドに寄って帰ろうよ」
東京に帰る日、空港まで見送りに来てくれた従兄弟が、自分の母親である叔母さんに言った言葉。
こうやって従兄弟は日常の中へ帰って行くんだなと思うと、その言葉が寂しかった。
この瞬間にはもうすでに、一緒に遊んだ時間を置いて、あの気の遠くなるほど長い空港までの1本道を引き返しているんだと。
せっかく見送りに来てくれたのに、まだ飛行機に乗る前なのに、東京に帰ることを受け入れられないでいる自分を置いていかれたようで悲しかった。
そんなことを考えていたら、途中にあるオモチャ屋で買って貰った右手のオモチャが急に恥ずかしくなった。
物語が気配を漂わせはじめて、左手で掴んだページがどんどん頼りなくなっていく。物語が加速する度に減っていくページは、車の中のガソリンみたいだ。ページと引き換えに景色が変わる。見たこともない新しい何かは、いつだってページの中にあるから。
最後のページ。突然現れた文字のない空白にうろたえながら、名残惜しくて両手で広げた本の中にまだ何かを探していることが恥ずかしくなる。
物語に置いていかれる。
そんな時はいつも、あの日空港で右手に持っていたオモチャのことを思い出す。
そしてこの小説を読んで、やっぱり思い出した。