いまから20年前のきょう、1997年3月18日、フジテレビ系で刑事ドラマ『踊る大捜査線』(全11回)の最終回が放送された。織田裕二(当時29歳)が、民間企業から転職した異色の刑事・青島俊作を演じたこのドラマは、従来の刑事ドラマとは一線を画し、コメディタッチも交えつつ、警察業界がサラリーマンの社会に似通ったものとして描かれた。キャリアとノンキャリアの格差、本庁と所轄署の対立といった切り口も斬新だった。
その舞台となったのは、東京の臨海副都心にあるという設定の「湾岸署」。ちょうど臨海副都心では、前年の1996年に予定されていた世界都市博覧会が、時の東京都知事・青島幸男の公約により中止されたため開発が停滞、多くの土地が手つかずの状態となっていた。ドラマのなかで、湾岸署が本庁のキャリア組から「空き地署」と揶揄され、青島が自己紹介のたびに「都知事と同じ青島です」と言っていたのには、そうした背景がある。
なお、このドラマの放送当時、フジテレビは、新宿区河田町から臨海副都心の台場へと、社屋の移転作業のさなかにあった。劇中に出てきた壮大な刑事部屋は、まだ工事中だった台場の新社屋のスタジオにセットを組んだものだ。余談ながら、『踊る大捜査線』の前日に放送された月9ドラマ『バージンロード』の最終回では、和久井映見演じるヒロインの馬車による結婚パレードが、河田町の旧社屋周辺で収録された。このとき、馬車に同乗した新婦の父役の武田鉄矢が、御者に「お台場まで」と行き先を伝えていたのが記憶に残る。
『踊る大捜査線』を語る上では、青島刑事と、いかりや長介(当時65歳)演じる定年間近の刑事課指導員・和久との名コンビぶりも外せない。かつてザ・ドリフターズのリーダーとしてお笑いで一時代を築いたいかりやだが、本格的に俳優業を始めたのは、50代も半ばをすぎてから。それゆえ収録現場では、親子ほど年の差がありながら、俳優としてはずっと経験豊富な織田裕二に頼りっぱなしだったという。しばしば相談しては、教えてもらったり、時には「自分で考えなさいよ」と突き離されることもあったとか(いかりや長介『だめだこりゃ』新潮文庫)。
同番組の視聴率は平均18%ほどで推移したが、最終回は20%を超えた。じわじわと人気を集めたおかげでその後、特番や劇場版も実現する。いかりやは映画『踊る大捜査線 THE MOVIE』で、1999年に日本アカデミー賞の最優秀助演男優賞を受賞し、劇場版2作目に出演した翌年、2004年に72歳で死去した(あさって3月20日が命日にあたる)。そのいかりやを『踊る大捜査線』に起用したプロデューサーの亀山千広は、2013年にフジテレビ社長に就任。目下、往時の勢いを失った同局の立て直しに力を注いでいる。