―― 大人になってからも、ずっとお母さまには正面きって反対意見が言えなかったそうですが、なぜ急に言えるようになったんでしょう?
田嶋 私は、子ども時代のトラウマをずっと抱えてたんです。ときどき記憶喪失みたいになることもありました。でも、彼との恋愛関係の中で、母との関係を再体験したんでしょうね。その結果、母がこわくなくなった。自分を苦しめていたものが見えるようになった。DVを受けた女の人も、それがDVだと自覚しないと、次もまたDVをする男を選ぶでしょう。だから、抑圧に気づいたことで、ようやく母にも自己主張できるようになったんです。
私は、それまで女の人のことが大嫌いでした。女である自分自身のことが嫌いだったからです。でも、それからは心も体も解放されていきました。
子ども時代の話をお母さまとすることは?
―― ご著書では、「女性たちを縛りつけている抑圧の輪が見えたとき、私は母を許すことができた」と書かれています。その後、お母さまとの関係はどうなりましたか?
田嶋 母も馬鹿ではないですから、2度と私の人生を支配しようとはしませんでした。そしたら、自分一人の世界を見つけるようになって、ほんとにかわいいおばあちゃんになっちゃった(笑)。もしかしたら、私を支配することが生きがいだったのかもしれない。
―― 子ども時代の話をお母さまとすることはありましたか?
田嶋 NHKから「母と娘」をテーマにした番組の取材を申し込まれたことがあるんです。母は出てくれなかったんだけど、私がこういうことを話すねと母に言ったんですよ。子どものころ、どれだけ辛かったかってこと。そしたら、母はキョトンとしてるんです。そして、「そうか、おまえがそんなに苦しかったのなら、悪かったね」って言うんですよ。母にしてみれば、戦争の後遺症だとか、女としての苦しみだとかをたくさん抱えて、娘の私にあたってただけかもしれないけど、いじめの自覚はないんですよね。だから、母を責める気にはならないんです。
―― 失礼ですが、お母さまはご存命ですか?
田嶋 いいえ。92歳で亡くなりました。