2019年(1月~11月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。インタビュー部門の第1位は、こちら!(初公開日 2019年11月4日)。
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MeToo運動やKuToo運動など、ネットメディアやSNSでフェミニズムの動きが目立ちます。そんなフェミニズムの“パイオニア”田嶋陽子さん。1990年に『いいとも』に出演されてから30年近く、テレビや著書で女性の自立を訴えてきました。田嶋さんのフェミニズムの原点とは? 聞き手は演劇史研究者の笹山敬輔さんです。(全3回の1回目/#2、#3へ)
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「私は、母にいじめられたんですよ」
―― 世間の田嶋先生へのイメージは「怒れるフェミニスト」ですが、実はとても明るい方なんじゃないかと思ってるんです。
田嶋 さっきもタクシーに乗ったら、「意外におとなしいですね」だって。みんなさ、私がいつも暴れてると思ってるの。タクシーの中で暴れるわけないよね(笑)。
―― それだけテレビの印象が強烈なんですね。そう思わせるテレビの「演出」についても伺いたいのですが、まずは田嶋先生のフェミニズムの原点について、お聞かせください。
田嶋 私は、母にいじめられたんですよ。母は戦後すぐ、脊椎カリエスという病気にかかって、長く生きられないと思ってたみたい。自分が死んだら、私が一人になってしまう。だから、私が早く自立できるように、非常に厳しくしつけられました。小学校から帰ると、母が寝たきりで身動きできないから、私はベッドの隣に座って勉強しなきゃいけないのね。教科書が暗記できないと、二尺ものさしでピシッと叩かれる。教科書を窓から放り投げられたこともありました。
―― 逃げようとは思わなかったんですか?
田嶋 逃げられなかったですね。逃げたら、お母さんの病気が悪くなると思ったから。でも、それだけしつけておきながら、「勉強ばかりできたって、女らしくしないとお嫁に行けないよ」とも言われました。
―― お母さまとしては、やはり娘には嫁に行ってほしかった?
田嶋 当時は、女の唯一の幸せは結婚でしたから。結婚できない女の人は陰口を言われて、世間からつまはじきにされたんです。子どもを産めないと実家に帰されたり、そんな悲劇ばかりでした。私は、生まれながら体がでかくて元気だったから、親はあわてたと思うんですよ。父はハンサムだったらしく、母も小さい顔でかわいかったから「おまえのような顔はうちの家系にない」って言ったんだよ。ひどいよねえ(笑)。