「テレビはつまらない」「テレビ離れ」など、テレビにまつわる話にはネガティブなものが多い。
しかし、いまなお、テレビは面白い!
そんな話をテレビを愛する「テレビっ子」たちから聞いてみたいというシリーズ連載の2回目のゲストはドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の大ヒットが記憶に新しい脚本家の野木亜紀子さん。
作品の中でもテレビ愛を感じさせる描写が多い野木さんに、まずは子供の頃どんなテレビに親しんで来たのかを伺った。
『雷波少年』なぜか全部録画して見てました
――野木さんのTwitterなどを拝見していると、ご自分の作品はもちろんのこと、テレビドラマ全体に対する愛情が伝わってくるんですけど、子供の頃はテレビって好きでしたか?
野木 幼いころは、『カックラキン(大放送!!)』とか、あの辺のですね。沢田研二さんのファンだったんですよ。で、「ジュリー!」って『寺内貫太郎一家』の(樹木)希林さんの真似してました。それは本当に大昔ですけど。学生時代は深夜番組が好きで、フジテレビの深夜枠「JOCX-TV2」をよく見てました。『IQエンジン』が大好きで、録画して毎週欠かさず見て。『世にも奇妙な物語』になる前の『奇妙な出来事』や『アインシュタイン』も好きでした。
――結構バラエティーも見てた感じなんですか?
野木 小学生の時に『(オレたち)ひょうきん族』が始まって、ちょうど過渡期で「ドリフ」も見てたし『ひょうきん族』も見てたし、みたいな。
――結構一番いい時代。
野木 そうですね。でも、一番好きだったのは『(天才・たけしの)元気が出るテレビ!!』かもしれない。その後の『進め!電波少年』も、『進ぬ!(電波少年)』になっても見てました。土曜か日曜の朝にもやってたじゃないですか。
――日曜の朝にやってましたね。『雷波少年』。
野木 あれも全部録画して見てましたね。なぜか。なんであんなに好きだったのかよく分からないんですけど。
――どういうところが好きだったんですか?
野木 何でしょう。いわゆるバラエティーとはちょっと違う、半ドキュメンタリー感が当時新鮮だったのかな。あと、『イカ天(三宅裕司のいかすバンド天国)』も初期から見てました。初代グランドイカ天キングのFLYING KIDSとか、たまも好きでしたね。あんまり昔を懐かしむババくさいことは言いたくないけど、あの頃のテレビは自由だったなと、ついつい思ってしまいます。