小学生時代に書いた『スシヤーです物語』
――テレビドラマとかはどうでした?
野木 小・中学生の頃って意外と見てないんですよね。当時流行った大映ドラマやトレンディドラマや、『あぶない刑事』なんかも見てはいたけど、熱心さで言えばむしろ『金ロー(金曜ロードショー)』とかテレビでやってる映画をひたすらVHSに録画して見てました。その頃は映画のほうが好きだったかもしれない。
――学生時代は演劇のほうに進まれるんですよね。
野木 中学の時、演劇部に入ってました。
――なんで演劇部を選んだんですか?
野木 小学校の時からそういうのが好きで。よくお楽しみ会とかやるじゃないですか。みんなでグループ作って歌ったりとか。そういう時に、友達集めて自分で台本を書いて『スシヤーです物語』なんていうくだらない芝居をやったり、『ザ・ベストテン』ごっこみたいなのをやったり。
――番組パロディーとかその頃からやっていたんですね!
野木 言われてみればそうですね(笑)。1位から10位まで、曲を決めて人を割り振って、ネタも入れて。その延長線上で中学の時は演劇部に入っていた。
――演劇部でも脚本とかは書いていたんですか?
野木 書いてましたね。中学演劇の定型の演目があるんですけど、オチが納得いかないからって勝手に変えてやっていたりとか。
――元があってそれを再構成するっていうのも当時からだったんですね。
野木 やってましたね。しかもひどいことを。引退した先輩が書いた脚本を全部書き直しちゃったりとか。その脚本の何が悪いかを全部書きだしたりして(笑)。本当に鬼のような後輩でしたね。
――演劇部では出演もしていたんですか?
野木 出てました。その頃は舞台役者にあこがれていたので、高校も演劇部に入ろうかなと思っていたんですけど、高校の演劇部を見学したら方向性が好みじゃなくて、テニス部に入ってしまいました。全然違う(笑)。
――じゃあ、将来は、そういう表現する人になりたいと?
野木 実は幼稚園の頃から漫画家になりたかったんですよね。でも小学校の友達で漫画がうますぎる子がいて。全然レベルが違うんですよ。彼女は本当にすぐ同人誌に出せそうなぐらいうまくて、これはダメだと思って。で、中学の演劇部では、私は副部長だったんですけど、部長の女の子がすごくうまくて。そんなのばっかりです。常にすごくうまい人が身近にいて、なんか「任せた!」っていう気分になって、じゃあ裏方に行こうかなと思って、日本映画学校に入ってしまったんですけど。
『寄生獣』がまだ1巻しか出ていない頃、クラスに布教した
――高校時代は?
野木 テニス部だったんで、わりと青春でしたよ。毎日家で筋トレしたり、合宿行ったり。その頃は一番テレビを見ていなかった時期です。でも漫画は読んでいたので、当時『寄生獣』がまだ1巻しか出ていない頃、クラスのみんなに「ちょっとこれ、読んでみ!」って布教したりしてました。あと、レンタルビデオ屋でバイトしていたんですよ。バイトの先輩の兄さんたちはオタクばかりで、そういうところからオタク情報はいただいてました。
――この世代の方はレンタルビデオから影響を受けた人が多いですね。
野木 インターネットもなくて情報が限られてましたしね。仕事中本当は見ちゃいけないんだけど、店長がいないと先輩たちが「大丈夫、大丈夫」って言って新作持って来たりして一緒に見てました(笑)。雨宮慶太監督の『ゼイラム』とか、塚本晋也監督作品とか、今思うと偏った作品を仕事中に見てましたね。
――小説とかも読んでいましたか?
野木 読んでましたね。小学校の頃は図書館に通ってて「アルセーヌ・ルパン」のシリーズが好きで。ホームズじゃなくてルパン派だったんです。『813の謎』に熱くなったりとか。あとは福音館の土曜日文庫シリーズがすごく好きで。今思うとファンタジーみたいな感じですけど、結構読んでました。
中高生の頃はお金がなくて古本屋派だったんです。近所の古本屋を巡って、その場でジャケ買いみたいな感じで、面白そうで安めのものを片っ端から買って読んでいくみたいな感じだったので、ベストセラーがどうのとかさっぱり分からないし、統一性もない。アフリカ文学とかも読んでました。古本だと帯もなかったりするから、その本が果たして世の文学界の中でどんな位置にあるのかよくわからないまま。ポール・オースターにも古本屋で出会って、すごく好きだったんですが、後になって「有名な人だったのか!」みたいな。
――じゃあ、レンタルビデオと古本で、雑食みたいな感じで。
野木 すごい雑食ですね。だから、どれも中途半端というか(笑)。オタクの域にまで達せていないという感じですね。