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『逃げ恥』の百合ちゃんエピソードをどう作ったか

――『主に泣いてます』から原作があるものを手がけていますが、原作本は繰り返し読まれるんですか?

野木 繰り返しは読まないです。原作を脚色する時って、一度原作を忘れた方がいいと思うんですよ。忘れないと再構築できないので。物語の根幹を理解して、印象的なセリフや大事なシーンを頭に入れてさえいればいいんじゃないかと。初稿を書いたあとに確認の意味で、解釈や表現が間違っていないかをチェックするために細部を見返したりはしますけどね。セリフの扱いもまた難しくて、ここは原作のセリフをそのまま使ったほうがいいなというところはもちろん使うんですけど、活字で読むならいいけど音で聴くとわかりにくいとか、ドラマのこのタイミングでは伝わらないとか、下手すると全体の中で浮いたり成立しないっていう局面も出てきたり。結局、重要なのはパーツではなく、作品の哲学を曲げないようにすることなんじゃないかと。

©TBS/©海野つなみ「逃げるは恥だが役に立つ」(講談社「Kiss」連載)

――映画とドラマでは違いますか?

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野木 映画だと尺が限られてるので切っていく方向だけど、ドラマは原作の行間を膨らませていきますね。連ドラの10話に対して原作が足りない場合でも、全く違うエピソードを入れるよりは、行間から拾うというか。例えば小説の中では3行しか語られていない主人公の思いみたいなところを、じゃあその3行を表すドラマを作るならどうしたらいいんだろうと考えますね。例えば『逃げ恥』の百合ちゃん(石田ゆり子)の会社の描写って、原作にはほとんど出てこないんです。だけど、百合ちゃんが女の生き方みたいな話をするなら、じゃあそのバックボーンとして会社のエピソードを入れて、セリフに説得力を持たせようとか。中にあるものをいかに拾って拡大していくか、余地を広げていくかという。それならストーリーが原作通りじゃなくても、作者の思いを曲げることにはならないし、ファンの目から見ても、まるで違うみたいなことにはならないんじゃないかって思って。そもそも私、視聴者時代が長くて、その時にいわゆる「原作レイプ」に腹を立てていて、「なんでこういうことするんだろう」って思って来たので、自分がそうはなりたくないっていうのがあって。

――だから、野木さんの作品を見るとすごいファン目線な感じがするんですよね。

野木 ファンじゃないと原作ものってやっちゃいけないと思うんです。同時に、すべて神聖視してしまってはいけなくて、客観視はしなきゃいけないと思うんですけど。映像作品のベストを尽くさなきゃいけないから。ただ、やっぱりまずファンで、リスペクトしてないと触っちゃいけないと思うし、「そこを変えたら意味なくない?」「だったらやるなよ」って思っちゃうんですよね。作者や読者がいることなので、やるからには気を遣うべきだし、じゃなきゃ触っちゃいけないし。

――あと、野木さんの作品は役者がすごく魅力的ですよね。

野木 それはみんな役者さんが素敵ですから。

――いや、いくら元が素敵でも全然それが光ってない作品もあるわけじゃないですか。でもやっぱり野木さんは、そこでもたぶん、役者さんへのファン目線がすごくあるんじゃないかなと思うんですけど。

野木 そう言ってもらうのはすごくうれしいです。やっぱり役者が輝かないといかんだろうという気がするので、なるべくそうしたいですよね。すごく難しいけども。悪役だろうがいい役だろうが、損しないようにというか、無駄遣いにならないようにしたいなとは思ってます。