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4階以上は全半焼、損害は500万9000円に上った

 陸軍は立川と所沢からは飛行機を飛ばし、屋上にロープを投げ落とした。屋上の小さな動物園にはライオン2頭がいたが、「檻にシートを掛けて怒りを鎮めるように暗くしておいたんです」(「証言 私の昭和史」)という。早川部長は「当時4階以上におった店員は515名、総数は1600名」と語っている(「科学画報」1933年2月1日号)。

「中央区史 下」は「この火災に動員された消防関係者は659名に達し、ポンプ車29台、ハシゴ自動車3台、水管自動車2台、放水銃1台、使用された水量は実に126万3000ガロンといわれている」「結局この災害は白木屋4階以上を全半焼し、その面積4252坪を焼き、損害は500万9000円に上った」と書いている。

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 白木屋では10日後の12月26日から、6、7階を会場に「火事展」が開かれることが決まっており、消防署のマトイを勢ぞろいさせることになっていた。12月2日には避難訓練も実施。消防関係者の間では「不吉」「たたりだ」という声もあったという。

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白木屋大炎上が「女性の洋装化を普及させた」?

 そうした中で、いつの間にか、この火事にまつわる伝説が広がっていった。週刊新潮1997年12月25日号は「和服用ズロースを生んだ白木屋の火事」の見出しで「当時、和服の女性はズロースを着用しておらず、腰巻だけだった。下着の線が見えるのが不粋とされていたからだ。ために反物やロープにしがみつきながら、下で見入るヤジ馬の目が気になり、片手で裾を押さえ、片手でロープという不安定な状態に力尽き、墜落したり、大ケガを負ったのだった」と断定的に記述。比較的最近出版された「火と水の文化史」さえ、「本火災が女性の洋装化を普及させ、下着の着用を広めたといわれている」と「伝説」を認めている。

 日本風俗史学会会長などを務めた青木英夫氏の1960年の著書「おしゃれは下着から」には「ズロースを日本人が用いるようになったのは昭和7年12月に起こった白木屋の火事が一つの刺激になったといわれている」と、やや控えめに記述されている。