一流デパート・白木屋の大炎上と女性用下着の発展

「白木屋」と聞いて何を思い出すだろうか。若者向きの居酒屋チェーンを別にすれば、映画「男はつらいよ」の「寅さん」(車寅次郎)のこのセリフくらいではないか。「角(かど)は一流デパート、赤木屋、黒木屋、白木屋さんで、紅おしろいつけたおねえちゃんから……」。「タンカバイ」と呼ばれる、縁日などで物を売る香具師(やし)の口上だが、その通り、かつて白木屋は一流デパートとして東京・日本橋の目抜き通りに存在した。そこで87年前の1932年、歳末商戦のさなかに起きた火事がいまも人々の記憶に残るのは、死者14人という規模や、日本初の高層ビル火災ということだけでなく、そこから1つの伝説が生まれたためだ。

炎上する白木屋(「決定版昭和史6」より)

「当時の女性は着物で下着を着けておらず、地上に下りるのを恥ずかしがって墜落死した。女性が下着を着けるようになったのはそれからのことだ」。当時は女性用のパンツをズロースと総称していたが、白木屋火事はそのズロースの普及と直結して記憶され、服飾史の本などにも記されている。しかし、発生したのは「鳥潟静子の結婚解消」騒ぎと重なり、女性の社会進出と自己主張が少しずつ社会の表面に出てき始めた時期。そんなことが本当にあったのだろうか。当時の報道や記録から探ってみる。

死者14名の大火「たちまちにして全く修羅焦熱の地獄と化した」

「16日午前9時23分、クリスマスデコレーション、歳末大売り出しで店内くまなく華麗に装飾を施したデパート殿堂、日本橋白木屋の4階71番玩具売り場の電熱器接触部付近から突如出火、傍らにセルロイド玩具が山積みされてあったため、あっという間に引火、火はたちまち店内に燃え広がった。

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 歳末のことではあり、開店間もなくではあったが、店内には客が多数に入っており、出火と同時に店員数百名は、『助けてくれ』と悲痛な声を振りしぼって潮のごとく昇降口に殺到、火の海をぬって救いを求める声、黒煙にほとんど窒息してよろける者、先を争って倒れる者、火の粉のために上着を焼かれる者など、たちまちにして全く修羅焦熱の地獄と化した」。1932年12月17日付東京日日夕刊はこう報じている。

白木屋火災を報じる朝日号外

「さすがの猛火も午後0時半鎮火したが、4、5、6、7階を全焼、死者11名、重軽傷者80名を出した」(同紙)。最終的に死者は店員13人、問屋派遣員1人の計14人、重傷45人、軽傷80人の大火となった。