「裾の乱れを気にして むざむざ死んだ女店員」
「パンツが見える。」が指摘しているように、きっかけは火事から1週間後の12月23日付朝日朝刊家庭欄に載った記事と思われる。早川警視庁消防部長が火事の概要を説明したのと同じ12月21日の懇談会で「列席した白木屋の山田忍三専務の次の談話の中には、ビル生活者にとって多くの参考になるものがあろうと思います」として、当日の発言をそのまま記述したようだ。「ビルの居住者や 外出婦人へ戒め」の主見出しのほか、何本かの見出しの中に「裾の乱れを気にして むざむざ死んだ女店員」も。そこで山田専務は救助設備、消火設備について述べた後、こう語っている。
「今回の火災で痛感したことは、女店員がせっかくツナを、あるいはトイ(樋)を伝わって降りてきても、5階、4階と降りてきて2、3階のところまでくると、下には見物人がたくさん雲集して上を見上げて騒いでいる。若い女のこととて、すその乱れているのが気になって、片手でロープにすがりながら、片手ですそを押さえたりするために、手が緩んで墜落してしまったというような悲惨事があります。こうしたことのないよう、今後女店員には全部強制的にズロースを用いさせるつもりですが、お客様の方でも、万一の場合の用意に、外出なさる時はこのくらいのことは心得ていただきたいものです」。「パンツが見える。」は「これこそが、いわゆる白木屋ズロース伝説の起源なのである」としている。
責任をできるだけ小さく見積もるための理屈か
その5日後、今度は都新聞の家庭欄に「婦人よ、如何な場合も ズロースを忘れるな 過般の白木屋火事の女店員の惨禍は 現代日本婦人への一大警鐘」の見出しの記事が載った。
無署名だが、記者は冒頭から「ズロースをはいているのとはかぬことが、女店員の生命に関係するとまでは思えませんでしたが、今度白木屋の災禍によって初めて重大な役割を持っていることを痛感致しました。一人デパートの女店員に限らず、ビルディングに勤める女性がズロースをはくということは、極めて必要なことと思います」と記述。「ズロースをはいていなかったから死亡した」ことを既定の事実のように書いている。
山田専務がそう語った意図を「パンツが見える。」は「会議(懇談会)の際は、白木屋の防災体制に対する疑問も提出されたろう。避難訓練は十分に行われていたか、などという追及もあったと思う。白木屋の代表である山田専務も、さまざまな答弁を試みたに違いない。百貨店側の責任をできるだけ小さく見積もるような理屈もひねり出していただろう。一種の責任逃れめいた弁明を口にすることも余儀なくされていたのではないか」と推測している。「白木屋以外のところへ暗々裏に責任の所在を持って行く論法である」と。説得力のある推理だと思う。
最後は「災禍を一転機としてズロースを着用するよう、一面には日本全女性のために一大警鐘が乱打されたとみて差し支えないと存じます」と締めている。「パンツが見える。」は「通説の型がすっかりできあがっている。いわゆる白木屋ズロース伝説はこの記事で完成したのである」と書いている。
【参考文献】
▽博文館編纂部「大東京写真案内」 博文館 1933年
▽「証言 私の昭和史(1)昭和初期」 學藝書林 1969年
▽「中央区史 下」 東京都中央区 1958年
▽白井和雄「火と水の文化史 消防よもやま話」 近代消防社 2001年
▽長谷川銀作「桑の葉・歌集」 ぬはり社 1934年
▽青木英夫「おしゃれは下着から」 新紀元社 1960年
▽青木英夫「下着の文化史」 雄山閣出版 2000年
▽井上章一「パンツが見える。」 朝日選書 2002年
▽白木屋調査部「白木屋の大火」 白木屋 1933年
▽「白木屋三百年史」 白木屋 1957年
▽宮内庁編「昭和天皇実録第6」 東京書籍 2016年
▽寺田寅彦「火事教育」=「蒸発皿」(岩波書店、1933年)所収
▽タカクラ・テル「女はなぜズロースをはくか?」=「女」(改造社、1948年)所収