いまこんな「事件」が起きたら、テレビのワイドショーや週刊誌はさぞ大騒ぎするのではないだろうか。

 ノーベル賞候補に推薦された著名な医学者で大学教授の娘が、父の教え子の医師と結婚したものの、初夜に夫から性病感染を聞かされて結婚を解消。それを世間に公表した。双方が家ぐるみで自分の側の正当性を主張。メディアに大々的に取り上げられた。

「タテに一本化された支配・服従の家族倫理にヒビが入り始めた」

佐藤選手の投身自殺」でも述べたが、性病が社会に蔓延していた時代を裏付けているが、この事件はさらに、生まれつつあった女性の権利主張の動きの先駆けともなった。橋川文三「日本の百年7アジア解放の夢」は、「家族倫理の地スベリを背景にしている。親には孝行、天皇には忠節、夫には従順という、タテに一本化された支配・服従の家族倫理にヒビが入り始めたのである」と説明している。メディアの取り上げ方、騒ぎ方も含めて、現代にも密接につながる問題だといえる。

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「鳥潟博士の令嬢 初夜に『結婚解消』 男性の利己主義を一蹴し 父君の説得も効なく 心の純潔を求めて」。こんな見出しで東京日日新聞朝刊社会面の約半分を使った記事が載ったのは1932年11月30日。この年は、この「昭和の35大事件」で取り上げた事象が集中している。3月には玉ノ井バラバラ事件が発生し(10月解決)、「満州国」が建国。10月にはギャング共産党事件も起きている。

「事件」を大々的に報じた東京日日新聞

 東京日日の記事本文はこうだ。「京都帝国大学外科教授鳥潟隆三博士の長女・静子さん(23)は同志社高女から山脇高女専攻科に学んだ才媛で」「京大医学部整形外科教室に勤務している京都府何鹿郡以久田村出身、医学士・長岡浩氏(28)と婚約を結び、10月30日、両人は前京大教授・市川清夫妻を正式な媒酌人として、京都・平安神宮で結婚式を挙げ、京都ホテルで披露宴を開いたが、その夜、長岡氏がとった行為に静子さんの疑惑が生じ、追究した結果、長岡氏が性病であることを告白したので、静子さんはそのまま父君の許へ帰ってしまった」

ほとんど安全である程度の症状であることを説明

 記事には、見合い写真のような振り袖姿の静子と、長岡の顔写真も添えられ、プライバシーそっちのけの実名報道。「長岡氏がとった行為」の「行為」が中見出しのように大活字になっている。静子は、従姉が夫の性病に感染して重い関節炎を患っていることから、極端に性病を恐れていた。「仲介者である市川博士は長岡医学士の体を専門医に診せ、既にほとんど全治しているとの説明を得て静子さんに提示し」た。この後が面白い。

「(市川博士は)父君鳥潟博士と共に、性病の経験なき配偶者を求めることの困難なことと、絶対に感染の恐れなしとはいえぬまでも、ほとんど安全である程度の症状であることを説明し、静子さんの意を翻すべく努力した」。

振り袖姿の静子と、長岡の顔写真