すぐさま平安神宮で結婚解消報告式
だが、「静子さんは両博士の言うところは、いずれも男性の利己主義から出たもので、女性に対する大なる侮辱であると『応酬』(大活字)し、決然として結婚の解消を主張したので、鳥潟博士もさすがに苦しい立場に陥り、遂に11月9日、平安神宮で結婚解消報告式をあげると共に、同日付両博士連名で挙式解消の挨拶状を、結婚披露に招待した親戚、知友に送った」。
その中では「その夜、浩より浩自身に関する意外なる事実の告白ありたるため、当夜における結婚儀礼の完了中絶のやむなきに至り」とした。記事が載った紙面の最下段には「淋病専門」などと銘打った病院の広告がいくつも並んでいる。
さらに記事は、当事者それぞれの言い分が見出しと記事で詳しく紹介されている。「静子さんの主張 『隠して居た行為が心外』」「両家の言ひ分 恐しい従姉の実例 解消の外なかつた 妻の信を失へば夫の資格なし 鳥潟隆三博士談」「『まるでペテンにかゝつた心持』 長岡君の父と兄の談」「始めて知った『近代娘』の心 これからの男は楽ぢやない 媒酌の市川博士談」。中には「長岡君に同情集る」という記事もある。何も隠すものがないような報道といっていい。
記事にはまた「妻たる女性から弾劾された長岡浩氏は、京都府何鹿郡以久田村の実家に引きこもっているが、同家は界隈の名望家で、数代続いて医を業として、父保氏は現に同村村長、実兄誠氏は綾部町で医師を開業している」とある。地方の名家のプライドがこの後、問題をこじらせる。
追いうちをかけた父・鳥潟の妥協なき対応
報道はこの後もすさまじい。2月1日付大阪毎日夕刊は、系列紙の東京日日の記事の前にこんなリードを付けている。「蜜の如き甘き愛を囁いた許婚との間の晴れの結婚式を挙げた其夜夫の性病を発見して新時代の女性の立場を護る為父を動かし、媒介者を動かし、遂に世にも奇抜な結婚解消報告式を挙げ男性に対して重大なるプロテストを投げ掛けた一女性がある」(原文のまま)。記者(デスク)の意気込みというか、面白がっているのが分かる。
父の鳥潟隆三は秋田県出身。京都帝大医科大(現京大医学部)を卒業後、大阪医学校(現大阪大学)教諭などを経て京都帝大教授に。学生時代から「秀才中の秀才」とされ、外科学と血清細菌学の権威となり、免疫元「コクチゲン」の発明によって1939年のノーベル医学・生理学賞候補に日本人研究者から推薦されたが、受賞は逃した。
「覇気満々たる人物で、すこぶる自信が強い」「執拗な性格と率直な性格と容易に人と妥協しない」「一面親分肌」などと友人、知人に評される性格。そうした鳥潟の個性が問題の対応にも表れたのだろう。その姿勢に長岡家も態度を硬化させる。