「当然二人の間で解決さるべきである」という長岡家の反論
これに対する反論を全てぶちまけたような長岡の父・保の覚書も同じ紙面に掲載されている。「婦女のいったん嫁するや、偕老同穴、生死を共にするの覚悟をもってこれに臨むべきものなることはわが国古来の良風美俗にして、吾人の最も期待するところに御座候。
しかるに、静子氏らにおいて、如上の用意と覚悟を欠き、温情なく冷静水のごとき処置に出でたるにかんがみる時、静子氏をめとることは当方将来のため面白からずと存じ、ここにお申し出に対し、破約を承認するのやむを得ざるは甚だ遺憾とするところに御座候」
さらに、長岡本人のステートメントも出ている。「私はあらかじめ告白するべく決心していたし、また自分から進んでこれを打ち明けた」「これを秘して夫婦生活の一歩を踏み、肉体的には無難でも、心に影のある生活に入ることは、私の性格として耐えられないところである」
「当然二人の間で解決さるべきであると信じていた。私はその結果が破綻に導くとは考え及ばなかった。私は古い傷に痛みを感ずるけれども、それを告白したことを悔いたくない。私の傷をも抱擁してくれる人が世の中にあることを信ずる」
「これは要するに愛の欠陥の問題」
12月3日付大阪毎日にはこんな記事も。神戸地裁の松浦嘉七判事は長岡の親戚で、市川博士と交渉してきたが、問題が表面化すると、厳正中立な立場から問題を再批判し、「最後的判決書ともいうべき声明書」を同紙に公表した。その中ではこう指摘している。
「長岡浩君は婚姻の実をあぐるに際し、『二年前の疾患は全治していることを確信』し、万全の策として不自然な手段をとったというのであるが、医学上の素人からは『万全を期するため』という言葉の中に、その全治に対する信念を疑われても仕方ないという弱点があるとともに、これが告白の時期についても、他に方法がありはしなかったかということなどを考える時、何としても手落ちがあったことを否むことはできないであろう」
そして、問題の核心に触れる。「これは要するに愛の欠陥の問題だと思う」「二人の間には燃ゆるがごとき愛は醸成されていなかった、十分なる精神的結合ができていなかったのである」
【参考文献】
▽橋川文三「日本の百年 7 アジア解放の夢」 筑摩書房 1978年