2023年に医師から余命宣告を受けた森永卓郎さん。慣れないがん治療のなかで、直面したトラブルの数々とは? そして、なぜ不自由な状態から復活できたのか? 新刊『身辺整理 死ぬまでにやること』(興陽館)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)

がん治療を始めた森永卓郎さんに起きた異変とは? 写真はイメージ ©getty

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このまま自分は死ぬんだな

 医師の指示で、とりあえず詳しい検査をすることになった。

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 PET検査(がん細胞が多くのブドウ糖を取り込む性質を利用し、放射性のフッ素を添加したブドウ糖を体内に入れると、全身のどこにがんがあるのかが分かる検査)の結果、胃と膵臓だけに反応がみられた。

 胃の反応のほうが強かったので、まず内視鏡で観察するだけでなく、組織を採取して、徹底的に検査したが、がん細胞はまったく出てこなかった。

 そこで膵臓がんの可能性が濃厚になり、膵臓を超音波内視鏡で徹底的に調べたが、病変はまったくみられなかった。

 胃と膵臓しか候補がないのにどちらでもないとなると、どういう判断が下されるのだろうと思っていたのだが、主治医の見解は「膵臓がんでしょう。膵臓のどこかにがんが隠れているとしか思えない」というものだった。

 私は、その診断が納得できなかった。膵臓には何の病変もみられなかっただけでなく、膵臓がんに反応する腫瘍マーカーも正常値だったからだ。

 そこで、東京の順天堂大学に出向いて、がんの画像診断の名医に、画像とデータをみてもらった。

 セカンドオピニオンを求めたのだが、順天堂大学の医師も、「膵臓がんステージⅣ」という、まったく同じ見立てだった。

 それでも納得がいかず、国立がん研究センターでサードオピニオンを求めたが、結果は同じで「膵臓がんステージⅣ」だという。

 がんのプロである3人の医師が口をそろえて同じ見解を述べるのだから、これはもう膵臓がんなのだろうと受け入れざるを得なくなった。それが2023年12月のことだ。

 だから、私はがん宣告を受けた時期を聞かれると、2023年12月と答えている。

 私は膵臓にがんが隠れていることを前提に、膵臓がんを標的にした抗がん剤治療を受けた。年の瀬が迫る12月27日のことだった。

 その日、私はいつもどおり午前中にニッポン放送の『垣花正 あなたとハッピー!』の生放送に出演し、その足で電車を利用して抗がん剤治療を受けるべく近所の病院へ向かった。その時までは、すこぶる元気だったのだ。

 病院で点滴投与を受けたのは「ゲムシタビン」と「アブラキサン」という2種類の抗がん剤だ。