2017年3月31日、朴槿恵前大統領が逮捕された。
大統領経験者として韓国史上3人目。しかし、全斗煥、盧泰愚元大統領と異なるのは、弾劾により罷免され、自身が任命した検察総長から逮捕状が請求されたという、より屈辱的で苛酷なその身の上だろう。
検察は、「大統領の強大な地位を利用した職権乱用という事案の重大性」、「容疑をすべて否認していることから憂慮される証拠隠滅の怖れ」、「すでに逮捕した崔順実氏やサムスンの李在鎔副会長など事件に関連した人物との公平性」の3点を挙げ、ソウル中央地方裁判所に逮捕状の発付を請求していた。
逮捕状が請求されたその日の世論調査では国民の72%が逮捕に賛成するという結果が出ていて、「在宅起訴でもいいのではないかという声も上がってはいましたが、逮捕という厳しい判断になりました」(韓国紙記者)。
因縁なのか、必然だったのか。
セウォル号事故から沈んだ支持率
逮捕の8日前、朴前大統領が出頭した検察に留まっていた3月23日未明、沈没した旅客船・セウォル号が引き揚げられ、およそ3年ぶりに海上に姿を現した。
振り返れば、朴前大統領への支持率は、2014年4月16日に起きたこの事故からじわりじわりと下降をたどった。
韓国の人々は、凄惨な事故を生中継さながらに目の当たりにし、船内で高校生が携帯に収めたその生々しい映像は人々の記憶の底に焼き付いた。
遅れた初動、遅々として進まない救助、7時間の空白といわれる朴前大統領の事故当時の謎に包まれた動向――。
生じた亀裂はゆっくりと静かに、しかし確実に進み、ついには崔順実事件で瓦解し、朴前大統領は奈落に沈んでしまった。
憲裁の全員一致は想定せず
支持率5%という圧倒的な反朴槿恵世論の中にあっても、朴前大統領は最後まで「法と原則により弾劾は棄却される」と信じていたようだと韓国紙の記者は言う。
「朴前大統領の弁護団からは『棄却』の報告を受けていたといわれます。青瓦台(大統領府)から私邸へ移るのが2日も遅れたのも棄却を疑っていなかったため準備などする必要がないと思っていたからでしょう」
弾劾は、憲法裁判所(憲裁)の8人の裁判官のうち3人が反対すれば「棄却」となり、賛成が6人となれば「認容」だった。8人の裁判官のうち2人は朴前大統領が任命した人物だったため、6人賛成、2人反対で弾劾が認容されるという見方が強かった。
法曹界関係者の話。
「朴前大統領が任命した人物のほかにもう1名が旧与党(セヌリ党)が国会で押した人物だったので、大統領の弁護団は3人の反対が取れると思っていたようです。ところが、ある在米の弁護士が、『2人が賛成に傾き始めている』という情報があると急きょ参加して戦略を変えたといわれました。しかし、蓋を開けたら全員一致賛成という結果が出ました」
「緩やかな情動」が法を超える
憲裁で弾劾を巡る裁判が始まった1月当初、法曹界では棄却される可能性が高いのではないか、そんな雰囲気もあったと言う。
「それが裁判を重ねるうちに、憲裁がまるで認容を念頭に入れているかのような証人へのやりとりが見え隠れし始めた」(同前)
韓国には「法」を超える「国民情緒法」があるとよく言われる。審判前、弾劾に賛成する人は80%近くにのぼった。日本では、今回の弾劾認容もそうした世論を汲んで憲裁が判断を下したのではないかという声もあがった。
別の韓国紙記者は「それは日本の見方」と言い、こう続けた。
「日本で韓国は法治国家なのかと疑問を呈し、批判しているのは、憲裁が訴追理由にない『検察や特別検察の事情聴取を拒否』を憲法違反としたからでしょう。ただ、これは憲裁が朴前大統領が真相究明に最大限協力するといった自らの約束を守らなかった不誠実さを指摘したにすぎず、そのものが弾劾理由にはなっていません。
また、検察や特別検察の捜査にも無理がみられるという批判もあったようですが、現在検察では立証に自信を見せていて、それだけの証拠が揃っているということです。
韓国はもちろん法治国家であり、国民の手で民主主義を勝ち取った国です(87年)。日本よりもおそらく国民が自分たちの力を信じているし、その力も強い。それが韓国の民主主義だと思います。今回の弾劾では、圧倒的な世論もありましたが、その背景にどんな事実があったのかを憲裁は慎重に判断した。もし、弾劾が棄却されていれば、韓国社会は大混乱となり、国として正常な機能を果たせなかったでしょう。大統領を罷免したのは大統領が正常な業務を全うできないと判断されれば弾劾に価するという点も大きかった」
ふと、日本の「大岡裁き」が思い浮かんだ。「公正さと人情味のある」大岡裁きは、常に人々の心に響く、得心のいく裁きだったと伝えられるが、これはどこまでも大岡越前の裁量によるものだった。
保守と進歩に見られるような対立構造が根強く残る韓国では格差社会などの社会問題も複雑に絡まって国民の情緒が日本より強く現れ、影響力を持つことがある。情緒というより緩やかな情動だろうか。それが日本では違和感としても映るが、これが韓国の「国のかたち」なのだ。
朴前大統領の弾劾劇は、韓国の「国のかたち」をあらためて鮮明にしたのではないだろうか。
逮捕された朴前大統領にかけられた容疑は13件。有罪か否かはサムスンとの収賄が認められるかどうかが鍵となる。
「姫」は「王」にはなれなかった
母親をテロの銃弾で失い、父親を側近に殺され、19年に及ぶ隠遁生活を送り、46歳で政界入り。その後は選挙の女王と持て囃され、大統領となり、韓国初の女性大統領として内外から注目を一身に浴びた。それから4年あまり。朴槿恵前大統領は韓国憲政史上初めて罷免された大統領として歴史に記され、さらには逮捕まで。これほど苛酷な現実を朴前大統領はどう受け止めているのだろう。
先の法曹界関係者は、「“姫”は“王”にはなれなかった」と朴前大統領を評した。
「取り調べを受けている側近たちは皆、朴前大統領の指示によるものとひたすら保身に走っている。周囲の人から伝わってくるのは、『大統領に尽くしても、ひきたててくれない。何も報いがない』という不満ばかりです。崔順実も罷免後は一転して朴前大統領をかばう供述を始めたと伝えられますが、これも朴前大統領が有罪になればそれは自分にも直結するためです。それかまだ利用できるとも思っているのでしょう。
裏切ることはあっても誰ひとりとして朴前大統領に仁義を尽くしてくれる人はいない。すべて用意された中では生きられた姫が国を治める王になった時、人々をどう動かせばいいのか、どう引き立てればいいのかについてはまったくの無知だった。人の心を動かす術を知らなかった。国民も父親の朴正煕元大統領の娘で、かわいそうな境遇の中で賢明に生きてきた女性、帝王学を学んだ賢い娘と勝手に思い込んでしまっていた。自ら選んだ大統領を私たちもそんなに簡単に弾劾などさせない。彼女を大統領に選んだ私たちも裏切られた思いがしている」
有罪となるか、無罪となるか。その一審判決の結果で韓国はまた大揺れになる。