いまから50年前のきょう、1967年4月5日、岡山大学の小林純教授が、富山県の神通川流域で多発していたイタイイタイ病の原因は三井金属鉱業神岡鉱業所(岐阜県)の廃水であると発表した。その翌年5月8日には、厚生省も同一見解を示し、公害病と正式に認定する。
イタイイタイ病は、骨が冒されて折れやすくなり、全身の激痛を訴える症状からその名がついた。患者には40歳以上の農村女性、とくに多産婦が多く、死者もあいついだ。1910年代にはすでに患者が見られたという。神岡鉱山で亜鉛鉱石の採掘が開始されてまもなくのことだ。ただし、当初は風土病と考えられていた。それが1955年に医師の萩野昇と河野稔によって学会に発表され、やがて鉱山の廃水に含まれるカドミウムが原因とあきらかになって世に知られていく。
公害病と認定されるのと前後して、1968年には、患者や遺族が被害の補償を求めて三井金属鉱業に対し民事訴訟を提起し、72年に患者側の全面勝訴に終わった。このあと、患者側と会社側のあいだで補償協定が妥結し、医療費などが会社側から支払われるようになる。廃水の被害にあった農地の土壌も入れ替えられ、30年あまりをかけて復元工事が完了した。2013年には、国の基準では患者には認定されなかった被害者(骨の異常の前段階である腎臓障害患者など)も含め、カドミウムによる一定の影響が見られる住民であれば、会社側から一時金を支払う制度が創設され、ようやく全面解決にいたる。しかし高齢になってから発症したり、患者申請中に亡くなり、死後の解剖結果からやっと認定されるケースも目立つ。イタイイタイ病はけっして過去の病気ではないのだ。
なお、イタイイタイ病の原因を生んだ神岡鉱山は、400年以上もの歴史を持つ。明治に入り1874年に三井組に買い取られてからは、日本の近代化を支えてきた。しかし1970年代後半以降、亜鉛や鉛の売れ行き不振や鉱量の枯渇などから年を追うごとに規模を縮小し、2001年には閉山。この間、鉱山労働者にも事故などで犠牲者が少なくなかったのだろう。建築史学者の鈴木博之は、かつて神岡鉱山を訪ねた際、小さな寺の境内に「亡者の墓」と大書された石碑を見つけ、この土地の「地霊」ともいうべきものがその碑に宿っていると感じたという(鈴木博之『建築は兵士ではない』鹿島出版会)。鉱山の衰退と入れ替わるように、その地下深くには現在、宇宙からのニュートリノを観測する大規模装置「スーパーカミオカンデ」が設けられ、土地の歴史に新たな1ページを加えている。