きょう4月8日はミュージシャンのピエール瀧の誕生日である。1967年静岡市生まれの50歳。高校時代に知り合った同い年の石野卓球とバンド「人生」を結成、上京後の1989年に解散、石野と新たにテクノユニット「電気グルーヴ」として活動を始める。メジャーデビューは1991年。同年に始まったラジオの深夜番組『電気グルーヴのオールナイトニッポン』の直撃世代である筆者には、あの“瀧さん”が50歳を迎えるとは感慨深い。

1992年「KARATEKA」発売時の電気グルーヴ。ピエール瀧(当時25歳、左)、石野卓球、まりん(砂原良徳) ©山田高央/文藝春秋

 瀧はデビュー当初より「楽器を弾かないミュージシャン」を公言し、ステージ上では、たとえば富士山の着ぐるみを着て「フッジサン! フッジサン!」と絶叫するなど、パフォーマンスに徹してきた。そもそもメジャーデビューも、ライブで石野と一緒に暴れ回るのを見たレコード会社の人が、「面白い」と声をかけてきたのがきっかけだという。

 電気グルーヴは、瀧と石野以外のメンバーの加入と脱退を経て、2001年より3年間活動を休止した。これと前後して、瀧は俳優やタレント業など活動の幅を広げていく。NHKの朝ドラ『あまちゃん』で、こわもてながら心根は優しい寿司屋の大将を演じたかと思えば、映画『凶悪』では元暴力団組長の死刑囚を演じるなど、俳優としてはいつもひとくせある役どころだ。

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2014年、日本アカデミー賞では『凶悪』で優秀助演男優賞に輝く ©近藤俊哉/文藝春秋

 しかし「どんなに流されても、音楽だけは辞めないと思います。原点にあるのは電気グルーヴでのバンド活動。それなくして今の自分はないし、ライブをしている時が一番オートマチックに体が動くんです」ともインタビューで語っている(『週刊文春』2007年4月5日号)。それは活動休止を経て、あらためて気づいたことだったのだろう。

『オールナイトニッポン』のころから、瀧はファンから兄貴分的存在として慕われていた。そのキャラクターは現在でも、地元・静岡朝日テレビ制作の『ピエール瀧のしょんないTV』で健在だ。同番組では、女子野球チームを指導したり、視聴者からカセットを集めて昔のテレビゲームに興じるなど、共演する同局アナウンサー・広瀬麻知子を相手に頼もしさを感じさせつつ、天性の遊び人ぶりを発揮している。