2019年1月に惜しまれつつも亡くなった市原悦子さん。ドラマ『家政婦は見た!』やアニメ『まんが日本昔ばなし』などで知られる名女優は、折に触れて人々の心に響く魅力溢れる「ことば」を遺していました。それらをまとめた書籍『いいことだけ考える』が刊行。珠玉の「ことば」が詰まった同書より、晩年の闘病生活におけるエピソードを公開します。
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市原さんが病に倒れたのは、2016年11月初めのことだ。全身の痛みや痺れに襲われ、自己免疫性脊髄炎の疑いで都内の病院へ入院した。
入院当初、わたしはまだ市原さんの半生をつづった『白髪のうた』の編集中で、病室のベッドに横たわる彼女にインタビューすることもあった。
「今、どんなお気持ちですか?」と聞くと、「屈辱よ。屈辱以外の何物でもないわ」と答えた。市原さんは、人一倍、体のよく動く人だった。ことに若いころ舞台に立った市原さんは、「舞台を飛び回る」という表現がぴったりだった。立つ、起き上がる、歩く……。健康な時には思いのままできたことが、何一つできない。その情けなさ、悔しさがこもっていた。
闘病中は病気の症状で左半身が痺れるため、右手を使う回数が増えた。そんな時、市原さんは「緊張すると右手が震えるけど、その右手でやりかけたことは必ずやり遂げないとダメ」と自分に厳しかった。
ある日、リハビリルームで椅子から立ち上がる練習をしていたときのこと。市原さんは身体を支える器具を両手でつかんで、前傾姿勢を取り、ものすごくキリッとした表情で前方を見つめて立ち上がった。
「市原さん、さっき何を考えていたんですか?」と聞くと、「スキージャンプの高梨沙羅。あの子の体の動きに自分を重ねていたのよ」と言う。彼女が空中に飛び出すときのイメージを思い浮かべていたのだ。舞台でもこんなふうに自分の身体を生かしていたんだろう。わたしは、一回ごとの演技に全身全霊で臨んでいた、市原さんの役者魂に触れた思いがした。