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心が温まる「泣ける話」

「自分も周りも楽しくしたい」闘病生活の中でも市原悦子さんは“役者魂”を失わなかった

「自分も周りも楽しくしたい」闘病生活の中でも市原悦子さんは“役者魂”を失わなかった

「落ちていく時の花もあると思うの」

2020/01/03
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「今を楽しくすることに集中しています」

 秋には大好きなちあきなおみの『黄昏のビギン』や都はるみの『小樽運河』を歌えるまでに回復した。

「声はね、出さないでいると小さく縮んじゃうから、いつも大きな声で冗談を言って、笑って、歌って、みんなと楽しく過ごすことを心がけています。歌を歌うと、腹筋も使うし、気持ちも晴れるし、聞いたところによると肝臓に溜まった毒素も外に吐き出せるんですって」

 翌年の18年3月にはNHKの番組『おやすみ日本 眠いいね!』の一コーナー「日本眠いい昔ばなし」の朗読で仕事に復帰した。収録は自宅で敢行。2回目まではパジャマのままベッドの上で行った。

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 5月に行われた3回目の収録のとき、番組のプロデューサーやスタッフたちは驚いた。この日、市原さんは初めて車椅子で収録を行ったのだが、アロハシャツにパナマ帽、そしてサングラスという、まるでマフィアみたいな格好で彼らを迎えたのである。収録には、わたしやマネージャーの熊野さん、家政婦さん、雀友の構木久子さんもよく立ち会った。4人揃うと市原さんは「今日も400人の観客が見にきてくれたわ」と冗談を言ってはしゃいだものだ。

市原悦子さん(昭和62年) ©︎文藝春秋

 その日は収録に続いて前述の『婦人公論』の取材も受け、みんなの前で茶目っ気たっぷりにこう語った。

「今の目標は、お客様の前に姿を見せられるようになること。一人で車椅子に乗って舞台の袖まで行き、お医者様にちょっと支えられながら立ち上がり、お客様の前に進んで、ニッコリ笑顔で『ご心配をおかけしました』。これが言えたらイエーイ! もう、それだけで十分だわ」

 この頃は病気もいくぶんか持ち直し、一時は歩行器を使って50歩も歩けるほどになっていた。

「歳も歳だから、『老い』は自分でも身に染みています。『死』には、大きな山を一つ越えてあっちの世界へ行くイメージがあるけど、それがどんなふうに襲ってきて、どんなふうに山を越えるのかは、その人その人ですからね。どんなにポックリ逝きたくても、そうはいかない。考えてもしかたがないことを思い悩んでも憂鬱になるだけでしょ、だからいつも笑っているの。本当にだらしのない私。今は……、今を楽しくすることに集中しています。自分も周りも楽しくしたい、ただそれだけです」

――以前、市原さんはこうも語っていた。

「スポーツ選手は一番いい時、花を咲かせた時に、引退する人がわりあい多い。私はそうじゃない。落ちていく時の花もあると思うの」

 しかし、秋以降、市原さんの病状は、次第に下降線を辿っていった。

いいことだけ考える 市原悦子のことば

沢部 ひとみ

文藝春秋

2019年12月6日 発売

「自分も周りも楽しくしたい」闘病生活の中でも市原悦子さんは“役者魂”を失わなかった

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