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「いいことだけ考える」難病に“自由”を奪われた市原悦子さんが最期に教えてくれたこと

「いいことだけ考える」難病に“自由”を奪われた市原悦子さんが最期に教えてくれたこと

「若いころはあんなに身体が動いて活躍もしたのに」

2020/01/03
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 2019年1月に惜しまれつつも亡くなった市原悦子さん。ドラマ『家政婦は見た!』やアニメ『まんが日本昔ばなし』などで知られる名女優は、折に触れて人々の心に響く魅力溢れる「ことば」を遺していました。それらをまとめた書籍『いいことだけ考える』が刊行。珠玉の「ことば」が詰まった同書より、最終章のエピソードを公開します。

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 2018年の春、市原さんはNHKの『おやすみ日本 眠いいね!』の朗読を再開したり、宮沢賢治の『よだかの星』の朗読を引き受けたりと、仕事への復帰に意欲を燃やしていた。

 最後の1年間、自宅でのリハビリを見守った理学療法士の大沼晋太郎さんは、市原さんの頑張りに驚いたという。

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「最初は左足の踝が固まってしまっていて、歩くのは無理だと思いました。でも、なるべく足の裏を床につけて、地面に触る感触を取り戻すようにしてもらったら、少しずつ足首が動くようになったんです。手すりにつかまって立つ練習をしているときに、おどけてお尻をフリフリしたり、おちゃめな方でした」

 しかし、体調は秋を境に下降していった。

市原悦子さん(平成6年) ©︎文藝春秋

 自分がいちばんそのことをよくわかっていたのだろう。11月半ば、街路樹が紅葉した葉を落としていく頃、自身を流れに浮かぶ枯れ葉に喩え、「まだ水底に沈んではいないし、少しはきれいな枯れ葉だけど、若いころはあんなに身体が動いて活躍もしたのに、どうにもならないものね」とこぼしたこともあった。

 盲腸炎を起こして入院したのはその10日後である。

 体力が持たないという判断で手術はできず、飲食禁止となった。それなのに、血管が細くて注射針が入りにくく、点滴を嫌った。ようやく飲食の許可が下りたときには、食欲もなくなり、薬も受け付けなくなっていた。

 それでも、年末年始は自宅で過ごすことができた。大晦日には、中学時代の恩師、岩上廣志先生の妻の康子さんが、手料理を持って自宅を訪ねた。市原さんはたいそう喜んで、さかんに懐かしい思い出話をした。