3年前の冬、私の祖母・田中くに子が他界しました。享年88歳。家族に見守られながらの幸せな最期だったと思います。

 今回ご紹介するのは、そんな祖母が亡くなる前に聞かせてくれた話です。

 祖母・くに子は鳥取県の出身で、県の中心部に位置する(今はなき)大栄町のあたりで生まれ育ちました。くに子の父親、つまり私の曾祖父は太平洋戦争で亡くなり、そこからは母親と子どもたちで身を寄せ合い、なんとか戦争末期を生き抜いたそうです。

ADVERTISEMENT

©iStock.com

母親が亡くなり、子どもたちだけに

 くに子は6人きょうだい(男3女3)の3番目で、次女にあたります。順番としては、一番上が長女で、そこから長男、次女(くに子)、次男、三女。そして6番目の三男は、終戦を迎えた年に生まれました。

 しかし、お産と同時に母親が体調を崩し、そのまま回復することなく、亡くなってしまいました。戦後の混乱期、大人でも生きていくのが大変な時代に、彼らは子供たちだけで生きていかねばならなくなったのです。

©iStock.com

 まだ赤子だった末っ子の三男は、みんなで世話をしました。5人で力を合わせて、1日1日をギリギリ耐え抜くような生活だったそうです。そんななか、一番負担を強いられていた長女が倒れ、1週間ほど寝込みました。

「私が倒れたら全てが終わる。今のままでも限界なのに……。早く病気をなおさなければ」

 長女はそんなことを思いつつも、体は一向に回復しませんでした。