M-1王者の資格は「経験値」か「新しさ」か
M-1が存在価値を持つのは、方向性に加え、出場資格が明確に設定されていることも大きいはずだ。(3)で指摘されるとおり、たしかに復活以降、出場資格が緩和されたこともあり、経験値がものを言うようになったのかもしれない。それでも結成年で出場者が絞られていることは、M-1になお新陳代謝をもたらしている。その意味で昨年、霜降り明星が平成生まれでは初めて優勝したのは象徴的だった。塙も、昨年の最終決戦では、うまさでいったら完全に和牛だったが、得票では霜降り明星が上回ったことから、《今後、M-1が存在価値を維持し続けるためにも、やはり「新しさ」を選ぶのだという大会の意志を感じました》と評している。
筆者にとっても、M-1の魅力は何より、これまで見たことのないような漫才が見られることにある。過去を振り返っても、笑い飯の「奈良県立歴史民俗博物館」、チュートリアルの「チリンチリン」など、いま思い出しても笑いが込み上げてくる。あるいは南海キャンディーズも、当時はまだ男女コンビ自体が珍しく、そのうえ、山崎静代という強烈な個性に、山里亮太がセンスあるフレーズでツッコんでいくのが新鮮だった。オードリーも、アクの強いキャラの春日俊彰が、若林正恭と噛み合わない会話を繰り広げながらも、途中で仲の良さを垣間見せるのが、新しいボケとツッコミの関係を見た気がして面白かった。このとき審査委員長だった島田紳助が、春日のキャラに戸惑い、辛い点をつけていたのも印象深い。
M-1にはやはり「経験値」よりも「新しさ」を重視する大会であってほしい。筆者だけでなく、歴史の目撃者になりたい視聴者は多いはずだ。今年も、誰も思いつかないような発想やスタイルで意表を突くコンビやグループの登場を期待したい。