1ページ目から読む
2/4ページ目

M-1は「漫才の100メートル走の日本一を決める大会」

<(1)そもそもM-1は吉本興業が立ち上げたイベントであり、いわば、吉本が所属芸人のために設えた発表会である。だから非吉本芸人は、卑屈になる必要はないが、不利を承知で乗り込んでいくのだというくらいの覚悟があっていい。(110ページ)>

<(2)M-1は漫才日本一を決めると謳いつつ、ひとネタを4分で収めるというルールがあり、実際には「漫才という競技のなかの100メートル走の日本一を決める大会」というべき、かなり特殊なコンテストである。それだけに「競技漫才」という批判もあるが、漫才をスポーツのように見せることに成功したからこそ、M-1はこれだけ注目され、年末の風物詩と呼ばれるまでのソフトになったのだともいえる。(113、189ページ)>

<(3)M-1は、少なくとも2001年から2010年にいったん終了するまでの「第1期」では、出場資格が結成10年以内とされていたこともあり、新しいことに挑戦する者には優しく、進化を拒む者には容赦のない大会だった。したがって新陳代謝も激しかった。しかし、それが2015年に復活して以降の「第2期」では、出場資格が結成15年以内に拡大され、2017年には最後のチャンスで出場した​とろサーモンが優勝するなど、新しさよりも経験値がものを言う大会になりつつあるようだ。(161~162、171ページ)>

ADVERTISEMENT

初代王者の中川家。当時結成10年目だったため、第1回ながら最初で最後のチャンスでもあった

<(4)M-1はこれまでの大会を通して漫才の解釈の交通整理をしつつ、ある程度まで漫才の定義を示した。つまり柵を設けた。しかし、その柵内であれば、どこまでも深く掘ってもいいし、どこまで高く飛んでもいいということにも気づかせた。(196ページ)>

<(5)M-1は一種のプロレスでもある。過剰な物語を仕立て、参加者や視聴者の感情を煽り立て、演者もそれに乗っていく。とりわけ、2007年に敗者復活戦から返り咲き、しかも「非吉本」「非関西」で優勝したサンドウィッチマンの下剋上物語は劇的であった。(209~210ページ)>

M-1の歴代チャンピオン。「非吉本」はますだおかだ(松竹芸能)、アンタッチャブル(プロダクション人力舎)とサンドウィッチマン(当時、フラットファイヴ)のみ

(1)に補足すれば、これまで「非吉本」の芸人でM-1を制したのは、前出のアンタッチャブル(プロダクション人力舎)とサンドウィッチマン(当時、フラットファイヴ)、それに2002年のますだおかだ(松竹芸能)しかいない。「非関西」以上に「非吉本」に対する壁がいかに大きいかがうかがえよう。今回のファイナリストも、「非吉本」の芸人はサンミュージックプロダクション所属のぺこぱだけである。