日本人が初めてオリンピックに参加した年をご存知だろうか。
答えは、1912(明治45)年。スウェーデンで開催されたストックホルム大会が初参加だった。陸上短距離で三島弥彦、マラソンで金栗四三の2名が出場したが、世界の圧倒的な実力を前に両者とも散々な結果で終わっている。
そこから様々な大会への参加を経て、1964年に東京大会が実現。2020年には再び東京にオリンピックが戻ってくる。100年以上にわたり、日本人にとってのオリンピックはどのような存在であり続けたのか――。
『いだてん』で日本水泳界の歴史を学び直した
「文藝春秋」1月号では、アテネ・北京五輪金メダリストの北島康介氏(37)と、日本人とオリンピックの歴史を描いたNHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』(現在は放送終了)の脚本家・宮藤官九郎氏(49)の対談をおこなった。
ちなみに、北島氏は『いだてん』でドラマデビュー。「戦後日本のヒーロー」と言われた水泳選手・古橋廣之進を演じた。
『いだてん』で日本水泳界の歴史を学び直したという北島氏は、先人達の努力が今の水泳界の土台を築いたことを感じたという。2人の話題は、メダル獲得へのこだわりに……。
「0.1秒」に4年間を懸ける
宮藤 勝ちへのこだわりで言うと、前畑秀子さん(1914~1995年)が1932年のロサンゼルスで銀メダルを取った時にトップと0.1秒差で、当時の東京市長から「なぜ金メダルじゃないんだ。たった10分の1秒の差じゃないか」と責められるんですよね。あの言葉って、どういう意図で言ったのかなと思うんですが……。
北島 僕は、逆にその言葉に水泳の魅力が詰まっていると思っています。0.1秒という数字にこそ、4年間積み上げてきたものが発揮されるんです。前畑さんはその0.1秒が悔しくて、もう4年頑張ってベルリンで金を獲得する。その時の前畑さんの気持ちや行動が、僕にはすごくよく理解できます。
僕もシドニーであとちょっとのところで4番になって。日本に帰ってきた時に、メダリストとして扱われるのとそれ以外として扱われるのとの差に、悔しさを感じました。それが「もっと強くなりたい」と思った大きなきっかけでした。