それだけに、レース後の競馬場内は、目の前の現実を受け入れられず、答えを求めるかのように周りを見回す人たちが多く見られた。無意識に胸を突き出して歩く人もいるが、多くの人は見た目にはっきりと唾を飲み込んでいた。
そんな人々が帰路についたあとに残されるのは床に捨て去られたマークシート、そしてハズレ馬券。有馬記念当日もまた、日常から切り離された空間で、夢を見て破れた跡があった。ハズレ馬券が、その人の一抹の希望、そして絶望が落ちていた。
それを手に取り、眺める。興味深いものが多くある。この人は一体どんな気持ちで馬券を買って、どんな気持ちでレースを眺めていたのだろうかと類推する……。
『流血の馬券』
早速、2019年12月22日に開催された有馬記念で、中山競馬場に捨て去られていた馬券を観察していきたい。
スタンド2階ラグジュアリートイレ前で発見した馬券である。アーモンドアイ絡みの三連複を90,000円分購入したこの馬券が見込める最高の払戻額は496,000円。年末の祭典に実にふさわしい大胆な賭け方といえる。しかし、注目すべきはそこではない。というよりも、否が応でも視線が向かうのは馬券に残された血(と思しきもの)の痕だ。
この血痕が、つーと流れ落ちた鼻血なのか、唇を噛み締めて切れたものなのか、単にかさぶたが剥がれたものなのか。どのようにして流れた血なのかはわからないものの、購入者の想いの強さが残した痕跡であることは確かである。
熱狂、興奮、焦り、自責、後悔……さまざまな情念が一枚の馬券から漂ってくる。
『相手だけ。とにかく相手だけ』
オッズが示すとおり、レース前は「アーモンドアイがよもや馬券圏外にはなるまい」と、多くの人が考えていた。それだけに、競馬場で観察した馬券も、そのほとんどがアーモンドアイ絡みの馬券。ここで紹介する馬券もアーモンドアイを中心に購入しているものだ。しかし、この馬券の購入者は、とりわけアーモンドアイの勝利を信じて疑っていなかったように思われる。
馬券左上に残された鉛筆書きをご覧いただきたい。観察してみると「レイ」「リス」「スワ」「フィ」とある。つまり、アーモンドアイ以外に購入した馬の名前を書き入れているのだ。もちろん、自分がどの馬を買ったのか、わかりやすくするために、馬名を書き記しているのかもしれない。さりとて、アーモンドアイの勝利だけは揺るがないものだという強い確信が窺い知れることは、疑いようがない。「とにかく相手だけ。相手を間違わないように」そんな思いが鉛筆書きから感じられる味わい深い馬券といえるのではないだろうか。