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「『同等ではありません。もし類似した成績なら公立高校出身者をとります。教育環境がまるで違うからです。条件の違うものは区別するのが当然と考えるからです』。例えると、総合点で200点をとったイートン校出身者を落とし、192点をとった田舎の公立高出身者を合格させる、ということである。劣った環境の下で勉学しながら192点をとる者は、優れた環境の下で勉学し200点をとる者より、潜在能力は上と見なすのである。日本ではあり得ない話だ。これがケンブリッジの公平なのである。

 日本の国立大では、推薦入試やAO入試といった特殊入試を除き、総合点だけで機械的に合否を決定する。内申書は全受験生に出させるが、異なるレベルの高校での成績を、公平に比較する適切な方法がないから、ほとんどの国立大学では一切考慮せず、総合点が同じだった時にちらっと見るくらいのものだ。

 ケンブリッジ大学と日本の国立大学との公平は相当に異なると言ってよい。別の言い方をすると、日本の入試における公平は『一切の主観を混入させない』であり、ケンブリッジのそれは、『主観を入れることでより妥当な評価をする』である」

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真の論点は「経済界の介入」

「今般の英語民間試験については、公平が最大関心事となっているが、さほど本質的な論点とは思えない。全国のすべての高校生が経済状況や教育環境で激しい格差の中にある時、『一切の主観を混入させない』という入試の公平が、どれだけ意味があるのかと思ってしまうのだ」

 それでは、真の論点はどこにあるのか――。

 藤原氏が問題視したのは、大学入試改革が「経済界のイニシアティブで進められてきた」ということだ。

出典:「文藝春秋」1月号

 経済界が日本の教育に与える影響について警告する、藤原正彦氏の「『英語教育』が国を滅ぼす」は、「文藝春秋」1月号および「文藝春秋 電子版」に掲載されている。

文藝春秋

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「英語教育」が国を滅ぼす!