例の英語民間試験の延期や決定の経緯、萩生田先生は文科相にふさわしいのか問題など、まさに「教育国会」になってきた。

 もっと俯瞰して見ると、国会でヤジを飛ばす首相が旗を振ってきた教育改革とは何だったのか、たしかに検証が必要だと痛感してしまいました。さて今回はまずこちらを考えてみた。

「任命責任は私にあります」

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 大臣がやらかすたびに安倍首相が繰り返すこの言葉。

 産経新聞は菅原一秀経済産業相辞任に際し、「任命責任が軽すぎないか」と叱った。

《人を見る目がないのか、派閥の力学による人選の弊害なのか。いずれにせよ、「任命責任」があまりに軽い。大いに反省すべきである。》(「主張」10月26日)

 安倍推しの産経師匠もたまらず苦言。しかしすぐに河井克行法相も辞任。するとまた首相の同じ言葉が。

安倍晋三首相  ©︎ロイター/AFLO

「任命責任は私にあります」

 毎日新聞の吉井理記記者は気になって数えてしまった。何を?

《閣僚らの引責辞任や疑惑報道のたびに繰り返される安倍首相の「もとより任命責任は総理大臣たる私にあり……」といった言い回し、2012年12月の第2次政権発足からこれまでに、国会で何度繰り返されたか。》(毎日新聞デジタル版11月4日)

 で、その回数は「実に33の本会議・委員会で49回」であることが判明。

 49回! 数えるほうもすごいが、やっぱり言うほうがすごい(注・この記事のあと6日の衆院予算会議があったのでさらに多くなってます)。

なんだか堂々としている「任命責任は私にあります」

 偉業を達成した吉井記者は大胆な仮説を唱える。

《首相の言う『任命責任』って『後任を速やかに任命する責任』ということに過ぎないのではないか、とすら思える。》

 ああ、なるほど。そう考えると毅然とした物言いに聞こえてくるから不思議です。面白い見立て。

菅原一秀氏(中央) ©︎時事通信社

 では私も感じたことを述べてみたい。安倍首相の「任命責任は私にあります」という今回の2回の言葉。「言葉が軽い」「無責任」という批判の通りだろう。でもそれとは別に、なんだか堂々としているのが妙に印象的だったのだ。

 それは首相が開き直っているからだろ! とツッコむ方もいるかもしれないが、いや、でも実際「困った感じ」がしなかった。これは本当にただの開き直りだけなのだろうか?

 そこで考え方を変えてみた。安倍首相が「任命責任は私にあります」と声を大にして言うたびに、耳の痛い人は誰だろう? と。

 そうなると該当者は1人しかいない。

 菅官房長官である。