「『公平』という言葉を日本人は大好きだが、自由、平等などと同じく定義はなく曖昧なものである」
かねてから著書『国家の品格』などで日本人の英語教育について異を唱え続けてきた作家・数学者の藤原正彦氏が、「文藝春秋」1月号に原稿を寄せ、大学入試改革が抱える問題点について指摘した。
そもそも「公平」とは何なのか?
大学入試改革が混迷を極めている――。
11月1日、萩生田光一文科相が、2020年度から大学入試センター試験に代わって始まる大学入学共通テストで導入予定だった英語民間試験を、4年以上延期すると発表。さらに12月17日には、国語と数学の記述式試験についての延期が決定した。
これら「英語民間試験の活用」と「記述式問題の導入」は大学入試改革の柱を成すものであったため、改革は事実上、白紙に戻った形となる。
「英語民間試験の活用」については当初から、高額な検定費用や試験会場の場所の偏りなど、その公平性について疑問の声が多くあがっていた。
だが、そもそも「公平」とは何なのか。藤原氏は冒頭のように疑問を投げかける。
「条件の違うものは区別するのが当然」
藤原氏は30年ほど前、ケンブリッジ大学の入試面接官を務めた経験を持つ。ケンブリッジ大学の入試の合否は、国家試験の結果と面接の結果を半々に見て決定するというものだったという。
その際に持った疑問が「合格判定時にパブリックスクール(寄宿制のエリート私立中高)と公立高校が同等に扱われるか」ということだった。
藤原氏は、この質問について他の面接官から返ってきた答えを振り返り、「公平」という言葉が持つ曖昧さを指摘する。