「下から目線」と社会の分断線
同じ2015年に実施された別の調査データ(SSP2015)によって、わたしたちの研究プロジェクトが明らかにしてきたのは、若年世代、とりわけ若年非大卒層の社会への向き合い方が消極的になっているということだ。選挙の投票をはじめ、職業生活、家族形成、消費、国際性、文化的活動、社会関係の構築などが総じて弱々しいものになっているのだ。
かれらの社会経済的地位は当然ながら低く、年長の生年世代よりも不安定性が増しているのだから、決して漫然と暮らしてはいられないはずだ。それなのに非大卒若者たちは、慎ましい態度で社会生活をしながらも心情は思いのほかにポジティブで、従順な保守志向をあわせもっている(吉川徹『日本の分断 切り離される非大卒若者たち』、吉川徹・狭間諒多朗編『分断社会と若者の今』)。
こうした社会調査の知見に基づくと、戦前・戦中を知る古い生年世代ではなく、意外に多くの若者たちが、皇位継承から身の回りの大卒学歴の親子の継承まで、上層の順当な地位継承に異を唱えていない理由が、さらに踏み込んで読めてくる。
上の層で社会を動かしている人たちが、世代を超えて閉鎖化・固定化していても、別に構わない。自分たちはそこに上がっていこうというのではなく、今の位置をキープできればそれでよく、あとは上層にお任せしておけばよい…。一連の温かい「下から目線」を生む心性として、サイレント・マジョリティに潜む、こうした微かなエリート委任性があるのではないか。
しかし現実をみれば、上層と下層の間は明らかに分断されている。とくに深刻なのは、大卒/非大卒の学歴分断だ。大卒層は大学受験以降、新自由主義の競争原理を振りかざして自己利益を追求し続ける。これに対して、非大卒層は遠くから「下から目線」でそれを眺め、静かに付き従っている。何とも不条理なのは、分断線を境に交錯する、冷たい「上から目線」と温かい「下から目線」の非対称性だ。
「上級国民」を「ぶっ壊す!」予兆も
それでは、この日本のサイレント・マジョリティは、どれだけ不利なカードを引かされ続けても、上層の権益独占にフォロワーとして「いいね!」を送り続けるのだろうか? そう考えながら2019年を振り返ると、そうでもない気配を読み取ることができる。
ひとつは「上級国民」バッシングだ。池袋の暴走事件をはじめとしたいくつかの事故や事件に、人びとは激しい怒りの声を上げた。自分たちとは日常的なコミュニケーションがなく、それゆえに顔が見えない「上級国民」がいて、じつは街中ですれ違っている。だが、もしかするとその人たちは、自分たちが知らない大きな特権をもっているのではないか? そういう疑念がその根源にはある。熱量の多い「下から目線」の先では、黙認と炎上の臨界点は紙一重だ。