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特集2019年 忘れられない「名言・迷言・珍言」

「よくもそんなことを!」グレタ演説を「コンテンツ」として消費する大人たちに言いたいこと

「よくもそんなことを!」グレタ演説を「コンテンツ」として消費する大人たちに言いたいこと

温暖化問題は「いつものこと」で終わらせてはヤバいんですよ

2020/01/01
note

グレタ批判側vs.「グレタ批判」批判側

 ところがまあ、例によっていつものごとく、ネット上ではグレタ批判側と「グレタ批判」批判側に分かれてウンコを投げ合っている訳です。で、争論の中心もグレタの主張に対してではなく、ただの読解不足やフェイクじみたものからきてるの。

 例えば、学校を休んで国連に行ったことに関して、説教めいて非難する書き込みは山のように見たが、それはグレタが演説の最初に「私はここにいるべきではありません。私は海の反対側で、学校に通っているべきなのです」(NHK訳)と述べたことを知った上で書いたのだろうか。グレタは「はい、そうですね」(キレながら)と返して終わりだろう。

12月にスペインで開催されたCOP25にも参加した ©︎AFLO

 また、グレタがまだ16歳であることや発達障害であることから、彼女を操っている存在があるとの主張も多く見られたが、結局のところ推測の域を出ない。それにそう主張する人に限って、まとめサイトをリンク付きでツイートしたり、大紀元の記事に釣られて「グレタが中国共産党に操られてる!」なんて主張したりしてませんか。それってあなたが大紀元に操られちゃってるわけですよね。

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 でもね、大丈夫。自分の言動について、他者に影響受けない人なんていないから。いい歳こいたジジババが、日本語不自由なアジ文に扇動されて弁護士に懲戒請求繰り返したのは散々見てきたでしょ。ただ、グレタが操られていると疑うのもいいが、そんなら自分の言動もどこまで操られているのか、我が身を振り返ってみようぜってね。

当事者意識のある大人なら、申し訳なさも少しは浮かぶはず

 一方で、グレタを称賛する側の能天気さにも呆れることが多かった。グレタの演説は子供から大人に向けられた猛烈な批判であり、当事者意識のある大人ならば申し訳なさも少しは浮かぶのだろうが、メディアも含めて、そういう人はほとんど見られず、グレタの批判者に対する批判のために彼女を持ち上げていた。

 結局の所、「いつもの面々」がグレタをダシにして、「気に食わないヤツ」と殴り合っていて、グレタ自身の主張は顧みられることなく、いつものようにネットコンテンツとして消費されていく。それぞれが勝手に相手をやり込めたと思い、溜飲を下げて、問題そのものは忘れ去られていく……。まあ、いつものことと言ったらそれまでなんだけど、温暖化問題は「いつものこと」で終わらせてはヤバいんですよね。

©iStock.com

 文春オンラインなんて読んでいるのも、いい歳こいた大人が大半だろうから書きますけど、大人なら大人としての当事者意識持とうぜ。グレタのあの怒りや憎悪は、大人に向けられたものなのに、彼女を支持するにしても批判するにしても、そこをスルーしているのはどうなんすかね。意識的無意識的にそこから目を反らしている、という解釈も可能かもしれないけど。

 あと、メディアでは「グレタさん」って表記が一般的だけど、自分には合わんけどその主張は理解するので、一個の人間として「グレタ」で通しました。

「よくもそんなことを!」グレタ演説を「コンテンツ」として消費する大人たちに言いたいこと

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