「バンドって、民主主義だと思う」。2019年にキャリア25周年を迎えたロックバンドGLAYが、10月に発表したアルバム『NO DEMOCRACY』リリース時に使用したキャッチコピーである。

 有名ロックバンドがアルバムタイトルやコピーとして「民主主義」という言葉を使ったことに注目が集まり、その点に言及したレビューやインタビューも多かった。ミュージシャンの坂本美雨は自身のラジオ番組にバンドのボーカリスト・TERUを招いた際、

「『バンドって民主主義だよね』って表明は、インパクトが強くて。どんな意味なのか、どんな思いが込められているのかを、改めて聞きたいなって思うんですけれども。もちろんGLAYの“公平にやってきたこと”とか“仲の良さ”とかを含めて見れば、パッと『バンドって民主主義だよね』ってイメージは浮かぶんですけれども。ただ“民主主義”って政治的な言葉でもあるので……」

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 と発言しているが、これはこのアルバムやコピーに触れた人々によるリアクションの典型例だったのではないかと思う。

©getty

『NO DEMOCRACY』に収められた楽曲たち、例えば

「ご指名をいただきました 元秘書の亀田と申します 先生は何も知りません 私(ワタクシ)が全部やりました」

「後悔をしているんだろう? 前ほどの威勢がないな 人として生きてゆくなら 真実を今語んだよ」

 と歌う「反省ノ色ナシ」には明らかに安倍政権下における疑惑・忖度の蔓延への批判的意図が感じられるし、

「国を奪われ家族とはぐれ 国境を目指す民に 機関銃」

「親に殴られ弱さを呪い それでも望むのはパンと 母の温もり」

 という歌詞を持つ「戦禍の子」には、難民や虐待児童のような抑圧された人々の状況に対して想像力を働かせようという意志が見える。これらの楽曲を通して、GLAYは社会や政治に対する自分たちのビジョンを意欲的に表現しようとしていると言えるだろう。

これぐらいの政治性で「インパクト」が生まれてしまう

 だが、先述の楽曲たちが示している世界観は語弊を恐れずに言えば「穏当にリベラル」なものであり、とりたてて先鋭的な意見や思考が含まれたものではない。「民主主義」を掲げることも、現代日本社会においては本来は当たり前の価値観の表明であるはずだ。

 メジャーなロックバンドがこれぐらいの政治性を見せた程度で、「インパクト」が生まれてしまう。このことは、日本のポップミュージックシーンが政治性からあまりにも切断され過ぎてしまっていることの証左とは言えないか。GLAY側がロックバンドとして真っ当なのであり、シーンの側が奇妙な状態にあるように思う。