「#ありがとう平成よろしく令和」というハッシュタグが飛び交ったのはもう7ヶ月も前のことだが、5月1日、令和元年のはじまりにTwitterが賑わっていたことをよく覚えている。

 令和、という元号が発表されたのはたった1ヶ月前のことだった。でもみんな意外とその元号のことを気に入っていて(だって「れいわ」ってなんだか響きもいいし、やわらかい感じがするし)、改元という状況そのものに高揚する空気すらあった。5月1日になる瞬間なんて、もはや大晦日か? という盛り上がりだった。

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 そんな「改元ブーム」とも言うべき2019年春、流行ったのが「#ありがとう平成よろしく令和」という言葉である。

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  改元というものがこんなに盛り上がるなんて、平成生まれはあんまり知らなかったと思う。けれど、しかし改元で盛り上がるのはなにも現代人だけではなかった。少し改元にまつわるエピソードを紹介したい。

意外とカジュアルだった「元号」

 そもそも、「元号」は日本人が発明したものではない。

 元号のはじまりを見ていけば、紀元前の中国で栄えていた漢の時代にまでさかのぼらなくてはいけない。かなり大昔、というか日本すら生まれていない時代の話だ。『漢書』によれば、当時の皇帝・武帝が「建元」という元号をはじめたのが最初なんだとか。そもそも、中国から生まれたものだったのである。

 しかしツッコミどころ満載なのが、元号の父親であるところのこちらの武帝、最初に元号を設定したはいいものの、実はそのあと彼が亡くなるまで11回も改元したそうなのだ! 改元の理由は、政治の雰囲気が悪くなったから……というような「なんとなく雰囲気変えたい!」から新しい元号を設定した、なんてこともあったらしい。いやいや、元号ってそんなカジュアルに変えていいものだったのか。

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 だけど日本のひとびとだって元号を操るカジュアルさにおいては負けてはいない。

 たとえば717年、奈良時代。当時の天皇、元正天皇は美濃へ向かっていた。道中 「養老」という町で、泉に手をつけたら、なんと手がすべすべになり、それまで続いていた手の痛みがとれたという逸話が残っている。いやこれだけ聞くと、どこの温泉のCMだよ、と述べたくなるのだが、これに感動した元正天皇は、元号を養老に変えた……らしい。そんなにみんなの手がすべすべになってほしかったのだろうか。