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 あるいは江戸時代。1772年、江戸の町で大火事が起きる。その時の元号がちょうど明和9年、つまり「迷惑年」だったために、縁起担ぎとして「安永」へと改元を実施したという。めいわくな元号だから、火事が起きる。いやいやそんな、だじゃれやん……と言いたいが、当時の人々は大真面目だった。「験担ぎ」は元号の大きな役割だったのだ。

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人間によって意図的に操れる唯一の「時間感覚」

 そもそも考えてみれば、元号というのは、人間によって意図的に操れる唯一の「時間感覚」なのだ。

 日本の元号のはじまりを考えてみれば、中国から日本に暦の考え方が輸入された時代にたどり着く。当時導入された「元号」は、最初、中国とまったく同じものを使用していた(日本独自の元号、というものがなかったのだ)。

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 しかし誰もが知ってる645年。そう、「むしごろし大化の改新」の語呂合わせで知られる、日本史上初の元号が誕生した。元号「大化」だ。

 中国の属国としてではなく、日本の時間を自分たちでつくろうとして、中大兄皇子は元号を設定した。それが元号を自分たちで生むことの意味だった時代のことだ。

 このエピソードからもわかるように、普段けして操ることのできない「時間」を、唯一操ることのできる場所……それが「元号」というシステムの発明だったのだ、と言える。なんというか、考えてみればものすごくチャレンジングな、イキのいい発明である。

「元号」は何かを変えていこうとする意思の結晶

 清の時代を最後に中国で元号は使われなくなった。結局、「西暦」にあたる年号は、人間が操ることはできない時間の区切りである。人間によって動かされることのない時間の決まり。

 しかしそれに対して「元号」は、時代によって、支配者によって、制度によって、いくらでも人間が変えようのある時間の区切りなのである。

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  だとすれば、「ありがとう平成 よろしく令和」という区切りもまた、私たちが何かを変えていこうとするチャレンジの意志の、結晶だろう。

 これからどんな時代へ、どう変えて行こうか。このハッシュタグが流行ったのは、変えていくぞ、という宣誓なのかもしれない。