文春オンライン

「スマホ害悪論」を考えることは『やすらぎの郷』を考えることである

速水健朗×おぐらりゅうじ すべてのニュースは賞味期限切れである

note

両陛下お忍び散歩を「スマホ撮影」問題

速水 4月2日の朝に、天皇皇后両陛下が皇居の外をお忍びで散歩して話題になった件も触れておきたい。これも、もはや当然なんだろうけど、通りがかりの人たちが天皇の写真をスマホで撮影していたと。

おぐら はい。過去にも同じ問題が議論されていました。

速水 2014年に天皇皇后両陛下が栃木を訪れたとき、地元の女子高生がその写真をSNSにアップした問題。

ADVERTISEMENT

おぐら いまの時代的に、そういう人が出てくるのは必然とはいえ、憤慨する人もいるでしょう。

天皇皇后両陛下 ©共同通信社

速水 ちなみに、宮内庁は「一般の方がブログなどで個人的に楽しむ分には制限などはしていないです」という答えを報道機関向けに出しているんだよね。

おぐら それは許されるんですね。

速水 もちろん、法的にはどうってことはない。むしろ、おもしろいのは、スマホで撮れる距離感の、庶民に親しまれる天皇像という位置づけであると、宮内庁が考えているんだという部分だろうね。天皇の在り方は、時代によって変わるんだって。ただ、撮る側としては、インスタでガンガンにフィルター加工したりするのは、ためらってしまうとかはありそう。

おぐら とはいえ、普通のデジカメならまだいいけど、スマホで撮るのはだめっていうのは、印象論でしかないですよね。

速水 個人の感覚でしかない。ちなみに、去年の「お言葉」のとき、テレビ局の技術の人たちは「陛下を映すのにズーム使うのか」って驚いてた。そんな見方もある。

おぐら ズームは失敬だと?

速水 ズームして画角を変えるのは、見てる側が飽きないようにする工夫でしょ。つまり、被写体が退屈だとズームで時間を持たせるということ。

おぐら あぁ……。そういう意図がなかったとは言い切れませんが、逆に「もっとアップで見せたい!」という好意的な心理かもしれませんけどね。

速水 スマホしかり、テクノロジーやメディアに対する世代差って、かなり根深いんだよ。

おぐら 無茶なスマホ弊害論を唱えるおじさんとかいますから。

速水 たとえば、どんなの?

おぐら 最近話題になったのでいうと、映画『君の名は。』と『ラ・ラ・ランド』への批判として「スマホを使い過ぎて、多くの人が知的な面で非常に怠惰になってきているのです」っていう主張とか。
http://diamond.jp/articles/-/119938

速水 スマホの弊害で、深い没頭ではなく、表面的な画面づくり優先の作品が増えている的なことか。

おぐら 記事では「個人的には、政府がスマホの利用時間を規制することが必要と思っています」とまで言っています。鑑賞態度や表現が変質した要因を、ここまでスマホに押し付けなくてもいいのになって。

速水 まあ確かに、それが本当にスマホのせいなのかどうかは怪しいね。とはいえ、ネットでは批判されても、世間ウケはする主張だろうな。

おぐら その“世間”っていうのも、テレビを見ながら「こんなくだらんものを」とか言ってたりするような、偏った世代ですよね。その世代は数が多いのと、社会の中心部にいて声も大きいので、それが世間の代弁みたいに思えちゃうだけで。

おぐらりゅうじ氏 ©杉山拓也/文藝春秋

速水 ちなみに、スマホ害悪論については、まともなメディア論としても研究はされているのね。有名なコンピューター学者のシーモア・パパートの元奥さんでもある心理学者のシェリー・タークルが書いた『一緒にいてもスマホ』という本とか。

おぐら いいタイトルですね。スマホに寄り添っている感じなのに、嫌味にも聞こえる。

速水 メディア論というよりも心理学。いつ鳴るかわからないスマホがテーブルにあるだけでも人の会話に影響を与えて、会話は細切れになる。寸断された会話は、結論まで行かずに途中で萎えちゃいがちだから、当然中身はなくなるよって。

おぐら 中身がない会話って、だめですか? 結論とか別にどうでもいい話も必要ですよ。

速水 まあ、ノーリターン、引き返せない道だし、誰も今さらスマホは手放せないとは思うけど。

おぐら たとえば、飲みの席ではすごく静かな人が、ツイッターだと別人格のように饒舌だったりするじゃないですか。この業界でいえば、会話やインタビューはいまいちだけど、評論の書き原稿は抜群っていう人がいる。それはそれで、立派な能力だと思います。

速水 シェリー・タークルの結論は、会話中はスマホを排除する工夫が必要になるだろうというものなのね。人は、失われつつある濃密な会話を捨てるなと。

速水健朗氏 ©杉山拓也/文藝春秋

おぐら 対面の会話が上手なのって、人間性のごく一部ですよ。嫌なやつが一人いたせいで盛り上がらなかった場があったとして、終わったあとに「あいつマジうざかったね」とかって、LINEのグループでは膨大な数の言葉が驚くべきスピードで交わされていたりする。そういう重層的なコミュニケーションも評価していいと思います。むしろ、スマホは画期的な会話断絶ツールとして利用されてます。

速水 会話にはむしろ断絶が重要ってこと?

おぐら このご時世、話を合わせるよりも、切り上げるほうがよっぽど難しいじゃないですか。だったら、スマホのせいにして断絶したほうが効率的だって考える人もいるでしょう。

速水 それ楽しい?

おぐら 楽しくはないですけど、濃密な会話が成立しないのは、単純に「あなたとは話したくない」「あなたの話はつまらない」っていう場合もあって、それはスマホのせいじゃないよっていう話です。なんでもかんでも新しいツールのせいにしないで、自分に原因があるのかもって考えてもいいのでは。

速水 現代のコミュニケーションにおいては、接続よりも断絶が大事って重要な指摘として聞いておくよ。

おぐら とくに年長者に対しては、10代からスマホを使っているネイティブ世代と比べて、スマホと触れ合う密度も頻度も劣っていて、使いこなせてもいないのに、勘で適当なこと言わないでくださいって言いたいです。