20年前は「攻め/受け」の「攻め」が書けなかった。こういう人の内面が書けるようになったのは喜ばしいと同時に悲しい。
――日夏はいかがでしたか。
松浦 現実にはここまで格好いい子はいないでしょうね(笑)。この子も、単に魅力的で人気者というだけじゃなくて、心の中にざらざらした荒れ地のような部分があって、気に入った人にサービスするのが好きなんだけれど、決して全身全霊で愛することはない「冷淡な奉仕者」です。ちょっと格好よくしすぎたかなとも思うのですが、でも書き甲斐のある人物でした。20年前だったら書けなかったタイプの女性だな、と。
ボーイズラブの世界で、攻めと受けという概念があるじゃないですか。日夏というのは攻めのキャラクターですよね。以前の私は、攻めの人物の内面がまったくわからなかったんですよ。愛戯を受ける側が快楽を感じるのは当然だけど、快楽を与える一方の攻めの方は何が楽しいんだろうと疑問で。サディストについても同様で、能動を好むタイプの心の中には入っていけなかったんです。でもやっぱり長年生きて考え続けていると、正確に理解できているかどうかはともかく、自分なりにこういうものではないかという推理ができるようになってきて。ですが、こういう人物の内面がそれなりに書けるようになったのは、喜ばしいと同時に悲しいな、と。
――悲しいですか。
松浦 人生の深い陰の部分を知ってしまったということではないかと(笑)。
――今までも松浦さんの作品の中には攻めタイプの人は登場してきましたよね。『ナチュラル・ウーマン』(1987年刊/のち河出文庫)の花世とか。…でも確かに内面が描かれていたわけではないですね。
松浦 花世くらいサディスティックになると、内面に分け入らない方が魅力的に見えるかもしれない。読者にとっても、作者にとっても。
日夏だと心の声を書けばいっそう魅力を増す感じですね。でも真汐のほうが書いていて面白いことは面白い。
――では、空穂はいかがでしょう。
松浦 このタイプはわりとこれまでの私の作品にも出てきたと思います。誰もがちょっとかまいたくなるような、完全に受けの人物ですね。攻撃誘発性もあって。みんなにいじられ、母親にも叩かれる存在。この作品の中では、親による子どもの虐待についても書きたかったんですね。空穂は癇癪持ちの母親に叩かれて育っている。それが関係したのか、極度に受動的な性質の人間になって、今はクラスのみんなに可愛がられている。
家族がテーマの1つなので、子どもが受ける暴力についても書かなければいけないという意識がありました。でも今回は、あまり過激な形で書きたくはなかったんです。ここに書かれているよりもひどい虐待がこの世にあることもわかっていますし、『犬身』(2007年刊/のち朝日文庫)ではわりと生々しく虐待というものを書いているんですけれども、虐待を受けた経験のある読者にフラッシュバックを起こさせたり、過激な描写に走って読者を過度に不快にしたくはなかったんです。苦い部分や辛い部分もあるんだけれども、甘やかで楽しんで読めるような作品にしたかった。空穂はそこはかとなくユーモアを醸し出せるキャラクターでもありますし、適任だったんじゃないかと思います。
日夏と空穂の関係も一歩間違うと虐待者と被虐待者の関係になりかねない。そうならないように注意を払いましたし、日夏をあそこまで優しくてよく気が付いて決して欲望に溺れない人物にしたのも、虐待者ではないことを示すためです。そういう感じで3人を作っていきました。