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子どもはいないけれど、親世代として子どもたちに責任を取りたかった

――それぞれの家族、特に母親との関係も描かれますね。母親に虐待されている空穂だけでなく、日夏も真汐も母親との関係は決して良好というわけでもない。

松浦 現実に母子関係に悩む女性が多いということもありますし、できる範囲でいろんな人物を書きたかったんです。それで友達の親なども出てきますし、3人とはまた別の形で親からのプレッシャーを受けている元同級生が出てきます。

――他校へ進学していった由芽理という子のことですね。一方、同級生の美織の両親は、子どもたちに手を差し伸べてくれるような存在です。やがてファミリーの関係が崩れてある事件が起きるわけですが、その時に彼女たちのそばに、こういう大人がいてよかった、としみじみ思いました。

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松浦 美織の両親は1958年生まれなんですが、私も1958年生まれなんです。私は子どもがいませんが、一応親世代として子どもたちの世代に何か手渡したいという気持ちがありました。

――ああ。美織の両親は、学校を辞めて海外に行くようアドバイスしますが、松浦さんご自身もそう思いますか。

松浦 現実の出来事ならば。小説の中の出来事としては迷いました。日本で闘わせることにするか、外国に行かせるか。でも、外国のほうがセクシャリティの面で生きやすい部分もありますし、外国生活もいい経験ですし、行ってもいいんじゃないのかなって。美織の母親の言う通り、闘う価値のない相手と闘うより、とりあえず、より自分の経験を広げる道を選んだ方がいい。日夏の留学はセクシャリティ留学でもあります。

――ところで、男子部の鞠村という男子クラスのボスが、ちょくちょく嫌がらせをしてきて本当にムカつくタイプでしたね(笑)。『犬身』に出てくるお兄さんもそうでしたが、女性を徹底的に馬鹿にしているけれど、性的欲望の対象は女性という。

松浦 ミソジニスト(女性を嫌悪する男性)ってそういうものですよね。鞠村は顔がいいという設定ですが、現実には顔のいいミソジニストは少ないと思います。

――どうして顔がいいという設定にしたのですか。

松浦 顔がいいほうが憎たらしいじゃないですか(笑)。私の中学の同級生にいたんですよ。顔も頭もいいけれど女子に嫌悪を隠さず、きつく当たる男の子が。鞠村のような権力者ではありませんでしたが、ストレスになる存在でした。

――私も小中学生時代のムカつく男子を思い出しました(笑)。一方、他のクラスの女子で印象に残ったのは苑子さんです。感受性が希薄だから図太いというか。「苑子最強」と言われていて、まさにと思って笑いました。私も10代の頃は心乱さない人に憧れはありましたが……。

松浦 理知的でクールで乱れないのだったら格好いいんですけれども、苑子の場合は心が乏しい。でも、置かれる場所によっては妙な力を発揮するという人物でしょうか。

――「苑子最強」で思わず笑ったように、会話がすごく楽しいですよね。思えばこれまでの作品も会話が楽しくて。

松浦 自分でも楽しんで書いています。今回私が気に入っているのは、美織の家に4人の同級生が集まって、セックスに関して「新しい嗜好、新しいプレイなんてもう見つけられないのかな」と誰かがいうと、「がんばって見つけてよ。見つけたら教えてね」というところ。「見つけたら教えてね」がとても気に入ってますね(笑)。

――親の蔵書のエロティック・アートの画集や写真集を眺めながらあけすけな会話をするところですね(笑)。大人びてユーモアたっぷりで。あ、そういえば、前半に読書家の女の子が読んでいる本の作者が「斑尾椀太郎」ですよね。なんか見覚えあるなと思ったんですよ。

松浦 ついに3作品連続出場となりました(笑)。『犬身』、『奇貨』(12年刊/のち新潮文庫)に続いて。私の小説の登場人物、とりわけ女性に好かれる作家として出しています。

奇貨 (新潮文庫)

松浦 理英子(著)

新潮社
2015年1月28日 発売

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――架空の作家なわけですが、一体どんな作風の方なのかと。

松浦 純文学としても水準が高く、堅苦しいことを考えずに読んでも面白いという。発想も独特で方法的にも挑戦的なことをやる、でも読んでいて絶対に楽しい。しかもイケメン(笑)。スター性のある作家です。

――純文学としても水準が高く、読んでいて絶対に楽しくて……って、まさに松浦さんの作品に言えることですよね。ご自身が書く上でも、そういう小説が理想的だというのがありますか。

松浦 そうですね、まさに。

――納得です。それと、最初、時代設定はいつなのかなと思ったんです。終盤に「三月十一日に起こった大震災とわたしたちの心の乱れについてもここで語るのは場違いだ」とあるので主な出来事は2010年のことだと特定できますが……。

松浦 冒頭部分がかたちになって来たのが2010年頃だったんです。作中の何人かの親が1958年生まれで18歳の子どもがいるという設定なので、震災前か震災後かということよりも、その年齢が極端に不自然ではないようにということで、そのまま2010年にしています。時代はどこかに示しておかなければならないので、あの一文を書きました。他にも、作中に出てくる映画『ランナウェイズ』の公開時期(日本公開2011年)でも時代が示されています。

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※「90年代以降、若者はろくなことがないと思って生きているんじゃないか。───松浦理英子(後篇)」に続く