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90年代以降、若者はろくなことがないと思って生きているんじゃないか。──「作家と90分」松浦理英子(後篇)

話題の作家に瀧井朝世さんがみっちりインタビュー

2017/04/30

genre : エンタメ, 読書

note

物語を書き始めたのは、“字を書けるようになってから”

──小説を書き始めたのはいつくらいからだったんですか。

松浦 字を書けるようになってからですね。小学校1年生くらいの時から。小説というより、読み物、童話のようなものです。

――じゃあその時からずっと小説家になりたいと思っていたのですか。

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松浦 途中で漫画家になりたいと思ったこともありますし、映画を観れば映画を作りたいと思っていました。音楽に夢中になればミュージシャンになりたいとも思いましたし。でも他のジャンルの才能はあまりなかったんでしょうね。

――1978年に文學界新人賞を受賞した「葬儀の日」(『葬儀の日』収録、1980年刊/のち河出文庫)は大学1年生の時に書かれたものですよね。その前から新人賞に応募はしていたのですか。

松浦 いいえ。子どもの頃を除けば、そこまで熱心に書いていなかったです。大人の小説を書きあげる力は高校の時にはありませんでした。だいたい書いては途中で終わっていたという記憶があります。

――そこからすぐに『セバスチャン』(81年刊/のち河出文庫)が刊行されて……。この頃はすぐに次の作品が出ていましたね(笑)。

松浦 若かったから、今よりエネルギーがあったんじゃないかと。

セバスチャン (河出文庫)

松浦 理英子(著)

河出書房新社
2007年12月4日 発売

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――次の『ナチュラル・ウーマン』は6年後、そこからさらに6年後に『親指Pの修業時代』(93年刊/のち河出文庫)。女性同士の性愛であったり、ある日親指がペニスに変化していた女性の数奇な運命だったり、毎回どのようにテーマを選ばれているのだろうかと。

松浦 題材は自分が持っている問題意識から出るものだと思うんですけれど。でもテーマや題材を見つけるうまい方法を私も教えてほしいくらいです。

――関係性とか性愛の問題や、男はこうだ女はこうだと決めつけられることに対する違和感とかを、いろんな形で出されていると思うんですが。

松浦 それはその通りなんですが、一作書くたびにもうネタ切れかなと思います。沢山書かない分、1本の作品のなかにサブテーマとしていろいろ詰め込んでしまうせいでもあるでしょうか。似たようなものを再生産するのも好きではないですし。となると、手持ちのネタを使い果たすのがはやくて、困っているんですよ(笑)。

©山元茂樹/文藝春秋

――『親指Pの修業時代』は90年代半ばに拝読しましたが、手持ちの文庫本の巻末の文章を読み返したら、〈第一部はこの親指ペニス、第二部に構想しているのは男性のインポテンツの話、第三部に構想しているのは男性の同性愛の話、という風に三部作でペニス小説を書いていこうと思っている〉とあって、あ、そうだったっけと思いまして。これは93年におっしゃったことですが。

松浦 やめました(笑)。インポテンツはその後バイアグラが出てしまって、あまり需要のある話ではなくなりましたし。男性の同性愛の話はやっぱり男性が書けばいいでしょうから、女性の身で出しゃばることはないと思ったんです。

――性愛とかセクシャリティとか、性器の結合に関して思うことがある延長で作品を書かれてきたようにも思うのですが、思うこともいろいろ変わってきていますか。

松浦 そうですね。それについては、あまりにもいろんなことがありすぎて、今ここで簡潔に説明するのは難しいですね。もちろん、セクシャリティなどについても若い頃からずっと習性のようにして考え続けてはいるんですけれども。作品を見ていただくのがいちばん早いと思います。