松浦理英子(まつうら・りえこ)
1958年、愛媛県松山市生まれ。青山学院大学文学部卒業。78年、「葬儀の日」で第47回文學界新人賞を受賞し、デビュー。94年『親指Pの修行時代』で女流文学賞、2008年『犬身』で読売文学賞を受賞。他の著作に『セバスチャン』『ナチュラル・ウーマン』『裏ヴァージョン』などがある。
少女たちが作っていた王国に権力が介入し、<家族>は崩壊した
――毎回、一作と一作の間にかなり時間が空きますが、その間、少しずつ書き進めていくんですか。それとも書いてはしばらく置いておく感じなんですか。
松浦 説明が難しいんですけど、書いたり書かなかったりですね。毎日書けるタイプではないんです。芸術家の古典的なイメージのように、頭をかきむしって煩悶するということはありませんけど。書いている途中で思ったほど面白くないと思えば筆が止まりますし、次の展開のためのアイディアが出なければ出るまで止めます。そういう時に無理に書くのではなく、閃きが訪れるのを待つことにしています。でも、面白くないと思っていったん止めても、結局ほぼ書いていた通りのものを採用したりして、無駄な時間も多いです。書いていない期間も長いですね。
――その間、小説のことはまったく考えないのですか。
松浦 考えています(笑)。いろいろ考えているんですけれども、体質的にもそんなに集中できる時間が長くないんです。これ、誰に言っても理解してもらえないと思うんですけれども、本当にパワーのない、エネルギーのないタイプの人間なんです。私は他の作家のみなさんがどうしてあんなに沢山書けるのかが不思議でならないんですけど。小説を書くのって疲れるじゃないですか。私は1日4枚も書けば脳の体力を使い果たしてしまいますね。
――時間がかかっても、書き上げてくださってよかったです。そうしましたら、事前にプロットは作られたりはしないのでしょうか。
松浦 細かい設計図は作りませんが、ある程度はプロットを作ります。今回は虐待と家族の崩壊というテーマを書くために、日夏と空穂の関係が特に濃くなるという筋書きにしています。崩壊というのは、やっぱり外からの権力の介入です。少女たちが作っていた王国に一般共同社会の支配力が介入してきての崩壊でもあるし、わたしたちのファミリーの中で三角関係が生まれてしまっての崩壊でもありますよね。
――結末はどんなイメージを持たれていたのでしょうか。私は最後の言葉に胸が熱くなりましたが……。
松浦 そうですか? 私はなんか、暗い気持ちになるんじゃないかと(笑)。
――えー。“いつか”を信じて未来へ向かっていくイメージがあったのに(笑)。
松浦 いや、読者の方はどう読まれてもいいんですよ。私は登場人物たちより長く生きているので、おのずと楽観的にはなれないだけです(笑)。まあ、前途多難な人生の中での一つの明るい指標みたいな感じでしょうか。1990年代以降かな、若者たちはろくなことがないと思って生きているんじゃないかと思うんです。阪神大震災があって、オウムの事件があって、リーマンショックがあって、東日本大震災があって。少年犯罪もありましたよね。未来にいいことがあると思える高校生なんているのかな、と。
――夢とか努力とか希望という言葉がきれいごとに聞こえているだろうな、と感じることはあります。でも松浦さんも、殺されなくてよかったということは、純粋にそういう言葉を信じるタイプの子どもでもなかったわけですよね。
松浦 でも、子どもであることが不自由で非力だと感じていたからこそ、大人になればいいことがいっぱいあるとも思っていました。いざ大人になってみると、子どもの頃の延長で長い間苦労が続きましたけれど。