「今年も夏が終わる季節まで、まずは頑張ってみようか」ボクはそう自分に言い聞かせながら今日、日比谷線の定期券を1ヵ月分だけ更新しました。これはボクが20年とちょっと続けてきた世の中との折り合いをつけるひとつの儀式です。半年分買ったほうが無駄がないし面倒が少ないとよく忠告されるけれど、ボクには1ヵ月がしっくりくる。もし半年分買ってしまったら、刻印された半年先の日付に押しつぶされてしまいそうになる自分がいるんです。1ヵ月だとまだなんとかなる。更新する度に販売機の前で、「また1ヵ月できたな、お疲れ」と自分を納得させたりしています。

 連休前にもう仕事場にちょっと慣れはじめてる新人はいなかったでしょうか?そういう転校に強いタイプが個人的には大の苦手です。高校時代、入学から1ヵ月ちょっと、まだこっちが図書室の場所すらおぼつかない時に、もうクラスの女の子と交際をスタートさせた男がいました。彼はあっという間にクラスのリーダーになり、体育祭では応援団団長、水泳大会ではリレーのアンカー、文化祭ではバンドのボーカルをこなすことになります。まぁそこから先の人生で彼は彼なりに苦労をするんですが、それはまた別の話で。

 高2の文化祭の時、ボクは照明係を任されて、親指を熱で火傷したことを覚えています。出し物が全部終わると“写ルンです”を持った他校の女子高生が入口付近で、大勢ボクを待っていました。「すみません、写真撮ってほしいんですけど!」彼女たちは口々にそうボクに告げてきたのです。「青春っていいね」なんて口から漏れそうになった瞬間、「早くしろよ」と男の声がボクを催促します。それはクラスのリーダーで応援団団長でリレーのアンカーで今の今まで氷室京介を気どっていた彼でした。女子高生は次から次にボクに“写ルンです”を渡し、彼の横に並びます。ボクはフラッシュのボタンを強めに押して、光が点滅するとパチリ、またパチリと彼と他校の女子高生らを撮り続けました。一枚一枚ポーズを変える彼とそれを喜ぶ女の子たち、フラッシュが遅いと彼から怒鳴られるボク、というコントが30分以上続いたと思います。

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 新しい環境になった瞬間に、最大限の警戒と、厳戒態勢の緊張が続かない人間など、昨日と今日の区別があっという間につかなくなって、結局毎日をテキトーにやり過ごす器用で愛想が良くてすぐにトレンドを取り入れるつまらない社会人に成り果てるはずです。緊張感の塊で、ちょっと腹を壊すぐらい警戒しながら毎日を噛み砕くように進む人は、一つ一つの経験が新しい免疫細胞を作り、感受性という神経の触手を少しずつでも着実に広げていくはずだとボクは信じています。

 30分以上“写ルンです”で撮り続けたあの日。夏の終わり、夕暮れの多摩川を見ながら悶々とした気持ちを抱えて、一人歩いて帰っていました。背中から「あ! さっきの」なんて言われて振り返ると、先程までポーズを決めたニセ氷室京介と一緒に写真に収まっていた女子高生の中の一人が、多摩川の土手で体育座りをしていました。ありえないくらい短いミニスカートの彼女は、パンパンと草を払いながらゆっくり立ち上がると、おもむろに“写ルンです”をカバンから取り出し、カチカチとフィルムを巻きながら「あ、あと1枚」と言って、ボクに向かって雑にシャッターを切りました。ただ呆気にとられて固まっていると、彼女が凛とした表情で「へん?」とつぶやきました。しばらくそのままの距離を保ちながら、向こうの土手を走っている陸上部の練習を、ふたりして眺めていたのを覚えています。

 今日、日比谷線の定期券を1ヵ月分だけ更新しました。これはボクが20年とちょっと続けてきた世の中との折り合いをつけるひとつの儀式です。今年も夏が終わる季節まで、まずは頑張ってみようか。

©高橋潤