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「いつも『小泉進次郎vs.鈴木貴子』の構図にされる」

――世襲議員はよく「親の七光り」と揶揄される一方で、父のイメージを引き継ぐことで「十字架」を背負わされることもありますよね。例えば、鈴木宗男さんには小泉政権時代の「抵抗勢力」というイメージが根強くあります。貴子さんが自民党の会派に入った直後、党農林部会への出席を拒否されるというハプニングが起こりました。部会長は小泉進次郎さんでした。あれは背景に何があったのでしょうか。

©白澤正/文藝春秋

「それは……小泉先生に聞いてください(笑)。私の他に、無所属のまま自民会派にいる先生は5人いるわけじゃないですか。だけど、メディアに出てくるときは、いつも『小泉進次郎vs.鈴木貴子』の構図にされる。注目していただけるのは、ありがたいことです。鈴木宗男がかつて『抵抗勢力』で、世代が変わっても……と描きたいのはわかるけど、小泉先生は私より年齢も当選回数も上ですし、将来を嘱望されていますから、党内のガス抜きをする役割というか、政治家としてのご判断であったのだと思います。

 あと、それだけムネオってすごいんですよ。ムネオが何を言うか、ムネオがどう動くかで、少なくとも北海道の政治は変わりますから。裏を返せば、誰かを落選させる力を持っている。それほど発言力がある。そう考えると、鈴木宗男は大した政治家だなあ、と」

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小泉進次郎氏 ©郡山総一郎/文藝春秋

――貴子さんの地元である北海道7区には、小泉進次郎さんの初当選同期である伊東良孝さんが現職でおり、前回衆院選では公示前も合わせると小泉さんが3度も応援に入った。私も小泉さんを北海道まで密着取材していて、「打倒鈴木」へのものすごい執念を感じましたが、現在は小泉さんと敵対しているわけではないんですね。

「いやいや、昨年あった北海道5区補選で小泉先生が応援に2回も入るように頑張ったのは、鈴木貴子ですからね。自民党道連の方針では、選挙戦の後半に入ってもらおうとしていました。でも、後半に入れたって遅いと思ったから。私にそう言われても、道連からすれば、1回決まったものをリスケするのは大変でしょう。

 しかし、私は道連の組織の人間じゃない。そこが強いと思って、本会議の後にテケテケと小泉先生の議席まで歩いて行って、『あの、北海道5区の補選なんですけど、あと一歩なんですけど、予定通り終盤に入るより、まずアタマに入って勝つ流れを作ってもらいたいんです』と直訴して、歩きながら戦況を話しました。後日、『行くよ』と言ってくれました」

――小泉さんは激戦区には選挙戦終盤に入ることが多いんです。自民党きっての応援弁士ですから、周囲は「勝率」を気にしていて、普段はギリギリまで戦況を見極めているのに、あの補選では公示直後に応援入りしたので、「なんか変だぞ!?」と思っていました。

「勝つためには。勝つのがすべてですから。

 私の結婚が決まった後に小泉先生に国会の中でバッタリ会った時、『唯一、私が先輩になれるものができました』と言いました。あちらは、ただ笑っていましたけど」

「今は静かにしていますよ。でも、ムネオのDNAは引き継いでいますから」

――30代の現職国会議員の中で自身の結婚が一般紙で報道されるのは、今後は小泉さんくらいでしょうね(笑)。しかし、安倍一強体制が長く続き、自民党若手からは覇気が感じられません。もっと鈴木貴子が国会で暴れ回るのを期待しているのですが。

「今は静かにしていますよ。でも、ムネオのDNAは引き継いでいますから」

――「親離れ」をしなければならないという意識はないのですか。

「考えていません。だって、うちの場合は、父が手がかかるんだもん。とはいえ、北海道を良くするためなら、何と言われようと、これからも親をきっちり利用します」

©白澤正/文藝春秋

 世襲政治家を取材する際、よく思い出す往年の政治評論家の至言がある。

「佐藤信二は長い時間かけなけりゃわからんね。こういう人の悲劇なのは、河野洋平みたいに、親父が死んでから出てきたのはまだ自力性があるんだ。親父が生きている間にでてきたというのは、親父の死後、もうどうなるかわからんですよ」(月刊「現代」、1974年7月号)

『小説吉田学校』の著者で知られる戸川猪佐武は、首相・佐藤栄作の次男と副総理・河野一郎の次男という当時の自民党ホープを比べてそう説いた。その後、前者は衆院8期を務めながら総裁選とは無縁のまま政治家人生を終えた。後者は紆余曲折がありながらも総裁まで上り詰めた。

 鈴木貴子の真価も、鈴木宗男が生きているうちはわからない。

 だが、彼女が言ったように、従来の「父から息子へ」とは異なるユニークな政治家人生を歩みそうだと2時間近くのやりとりを通じて感じた。自民党に入っても、今回のような歯切れの良さだけは変わらないでほしい。

(一部敬称略)