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「鈴木宗男から『出てくれ』と言われたら私は一蹴して出なかったと思う」

©白澤正/文藝春秋

――その後、26 歳の時、NHKを退職して2012年12月にあった衆院選に立候補することになった。その際は、公民権停止中で出馬できない鈴木宗男さんの後継として出馬したわけですが、父にはどう説得されたのでしょうか。

「鈴木宗男ってズルくて(笑)、今まで一度も私に『出てくれ』って言ったことないんですよ。11 月に衆院が解散された時、私は普通に長野で仕事していました。年末の特番のために準備していたので、報道を聞きながら、『こんな時期に選挙なんかやられたら、特番と同時にやるのは無理だよ』と思って。私が『出馬の方向性』というのは、ヤフートピックスを見て知ったんですよ。『え、ナニコレ??』という印象で、兄は2人とも秘書の経験もあるので、こっちにお鉢が回ってくるとは思っていませんでしたから。

 後日、後援会の人たちに呼ばれて、『今回の総選挙は鈴木貴子で勝負したい』と言われました。みなさんに言わせると、3人きょうだいの中で、私が一番父の遺伝子が強いみたいなんです。ちょうど、私は友達の結婚式で東京に帰った日があって、東京の自宅で父と会っても『お前に任せる』としか言わないんです。台所のテーブルで向き合っていても、父は椅子の上に胡坐をかいて、下向いたままずーっと一言も言わない。母も兄もいて、そのまま無言で2時間。お互い気が強いから、父も私も切り出さない。2時間黙って、たった一言、『すまん』。結局、『出てくれ』と言われていないんですよ。私はテレビの仕事が面白くなってきたし、来年には東京への異動も決まっているし。『無理です』と。政治家になろうと思って勉強してきたわけではなかったし。

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2013年 街頭に立つ鈴木父娘 ©石川啓次/文藝春秋

 それまで、うちの父って、家族から『ストーカー』と言われるぐらい私を心配して1日に何度も電話かけてきていたんですよ。着信履歴は父の名前でいっぱいになる。なのに、あの時期は一度も電話してこなかった。非情でもあるし、非常に有能な政治家でもある。私も『選挙に出る』という決意は最後の最後まで父に言いませんでした。母には言いましたけどね。母には電話したけど、父には言わなかった。

 でも、あの時、鈴木宗男から『出てくれ』と言われたら私は一蹴して出なかったと思うんですよ。『地獄』を見た時も鉄の結束で動いて支えてくださった後援会の人が『貴子よ、出てくれ』と言う。その思いを無下にすることはできませんでした」

「世襲禁止は反対です」

©白澤正/文藝春秋

――でも、宗男さんって政治家の世襲を批判してきた急先鋒ですよね。事前に読んできた資料の中にも「世襲&官僚政治家が日本を滅ぼす」というタイトルの論文がありました。

「鈴木宗男は間違いなく世襲を批判してきました。急先鋒です。娘が出てきても、自分は批判していたと認めればいいのに、最近は認めていないでしょ。『「本人次第だ」ということも以前から言っていた』と言っているけど、いやいや、『ア・ナ・タ、ちゃんと批判していましたから』と思います。そこは、はっきり貫いてくれないかなあ。逆に、私が腹立ちます。

 私の出馬会見では、報道陣から『なにをやりたい?』という質問を1つも受けなかったんですよ。世襲、二世、それを批判してきた急先鋒の娘がなぜ出るのか。そのことばかり問い質されました。私は、『批判は受け止める』『これからの鈴木貴子を見てもらうしかない』と訴え続けました」

――貴子さん自身は現在、世襲の是非についてはどう考えていますか。

「世襲禁止は反対です。自分がそうだからというよりも、どの業界でもこの仕事をやりたい、頑張りたいという思いを端から摘む権利は誰にもありません。ましてや、国会議員は選挙という手続きにおいてふるいにかけられる。その結果を受けるしかないからです。親を超えてみせるという思いで頑張っている人が残るはずで、そんなに楽じゃない。だから、一概に世襲がダメだというのはいただけません。

『世襲イコール悪』となるけど、子どもが一番身近な親を見て、『あんなふうに働くのはかっこいいな』と思うことは、良いことではないでしょうか。経済界には二世会はたくさんあるのに、あれを国会議員で作ったらとんでもない批判を浴びるでしょう。だけど、社会のため、国のために働くことが尊いと、自らも目指すことの何がいけないのか疑問です。政治家・鈴木宗男は、努力した者が報われる社会の実現を追求してきた。私は、それを愚直に引き継がないといけないと思いました。

©白澤正/文藝春秋

 後援会、(支持)組織、事務所、人脈……と二世が引き継ぐものが多々ありますよね。私があの解散後のタイミングで急に選挙になだれ込めたのは、二世だからというのはあります。選挙の『タマ』として本人がまだまだでも、支えてくれる周りがいますし、やっぱり政治家が身近だったゆえに選挙を見てきたし、候補者としての動き方を動物的感覚として持ち合わせていました。

 鈴木貴子は声も顔も動きも鈴木宗男と一緒。昔から地元の人には似ていると言われます。委員会で質問した後にも先輩議員から『オヤジに似てるなあ』と言われるし、自分でも話している間に『アレレ、この言い方、誰かに似ているぞ』と思います。小さい頃からそっくりと言われ続けて、『小ムネオ』とあだ名も付けられて、それが嫌でしょうがなかった。中学の時に『しょうがない』と割り切りました。『子どもは親を選べない』と言うじゃないですか。

 今では『鈴木宗男の娘』なのを嫌だとも思っていないし、鈴木宗男が持っている人脈、経験など、すべてを使うだけ使ってでも地元に貢献することが、二世である私に託されたもう一つの使命だと思っています。同時に、それが鈴木宗男を支えてくれている方への恩返しだと思っています」