忙しくても1分で名著に出会える『1分書評』をお届けします。
今日は尾崎世界観さん。
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現在ツアー中。ライブを終えてホテルで弁当を食べている最中、くしゃみをするときの、鼻の奥の方から感じるあの気配に身を任せた。口の中いっぱいに詰まった弁当の中身。いつもならくしゃみを我慢する状況。この日はライブ後の高揚感も手伝って、我慢することを我慢してしまった。
「ブッ」という音と一緒に、ハンバーグとご飯粒が飛び散った。iPhone、読んでいた文庫本、弁当が入っていた紙袋、カーペット一面に茶色い米粒がこびり付いている。
たった一瞬の快感の後処理。何事も、快感には後処理がつきまとう。その一瞬で人生を棒に振ってしまうことだってある。その一瞬についての説明は割愛する。気になる方は週刊文春でも読んでください。
「こんな事になるとは思わなかった」という驚きが「こんな事になると思えなかった」という後悔に変わる。そうなっても、もうあとの祭り。
主人公にとっての英子は自分にとっての音楽だ。あれだけ苦労して手にしたのに、煩わしく感じる瞬間がある。
脱がしてみたら思っていたのとは何か違って、いつからか、憎しみと侮蔑をぶつけることでしか向き合えなくなった。
四つん這いになって、ホテルのカーペットにこびり付いた茶色い米粒をティッシュで拭き取りながら、しみじみとそんなことを思った。
さっきまで確かに、ステージの上の熱狂のなかに居たはずだ。久しぶりに行った土地で、熱烈な歓迎を受けて、「ありがとう」とまで言ってもらって。ずいぶん都合の良い人間だと思う。時々しか行けないし、その土地の名物もろくに食べた事だってないのに。今だって、地元で有名な洋食チェーンのハンバーグ弁当をくしゃみで撒き散らしてしまって。
熱は冷めるし、汗も乾く。そしてこのツアーもいつか終わる。
約2時間、どんなにその日限りの、その土地ならではの、と試行錯誤しても不思議とこの時間に収まってしまう。それが悲しくて悔しい。
それでも、ライブ中に見えてしまう。溺れるような顔で俺が作った歌を歌いながら拳をあげている人、デパートで迷子になった子供みたいな顔でまっすぐステージを見つめている人、お笑いのライブと間違えているんじゃないかというほど大笑いしている人。その土地ならではの人を知っているし覚えている。
だから観光名所にも名物にも興味が持てないんだと思う。ステージから見える人の顔が一番だ。報われる瞬間。
車の免許も持ってないし、野菜も食えない。泳げないし銀歯が多い。こんなどうしようもない人間でも、物販で売っている、見覚えのあるTシャツに見覚えのあるタオルを巻いているあのお客さん達を、なんとか幸せにしたいと思う。
あぁ、気持ち悪い。柄にもないことを書いて。だからツアーは苦手なんだ。
こんな物いつまでも続けていたら人を信じてしまいそうになる。