ところが3通目の返事で、不意に彼の方から自身の死を話題にしてきたのだ。「今後社会貢献するつもりがあるか」という問いに対し植松被告は、こんなことを綴ってよこした。
<私が娑婆に出たら男子校「百山学院」を創ります。百の山をも乗り超える強く優しい日本男子の育成に努めます>
そしてその直後に書かれていたのが、冒頭に引用した「私が死ななくては解決できない……」という言葉だったのだ。
またこの手紙では初めて
<(註:被害者の中に)本当に会話ができる方がいたとしたら、それはとても申し訳なく思います>
と、自分が誤っていた可能性に言及した。
だが残念ながら、それが今日までに私が受け取った、被告からの最後の手紙となってしまった。御しにくい大人と思い、敬遠したのかもしれない。
被告からの最後の手紙に書かれていたこと
初公判に話を戻す。植松被告は暴れる前に、「皆さまに深くお詫びします」と述べたそうだが、「皆さま」とは誰を指すのだろうか。犯行直後と同様に、犠牲者の遺族なのか? それとも彼が3年半前に刃物で殺害し、その後長きにわたって言葉で殺し続けていた方々を、ようやく“人”と認め謝罪したのか?
法廷では大方の予想通り、もっぱら責任能力の有無が争われることになったようだ。だが植松被告には犯した罪と真摯に向き合って欲しい。
もう1点、被告の手紙から引用して締めくくる。最後の手紙で被告は私にこんな質問をしている。
<一年程前、旦那を殺害遺棄した妻が「デリートッ‼ 削除するぞっ‼」と意味不明な発言から不起訴(即無罪)になりましたが、このような化け物が社会でのうのうと暮らす現実をどのように考えていますか?>