これまでの私は阪神・秋山拓巳について書くことを意識的に避けてきた。この文春野球コラムでもそうだが、その前から続けている他紙での野球関連の連載等でも、一度も話題にしたことがない。特にキャンプの時期はそうだった。秋山は今季の春季キャンプ中から首脳陣や阪神OBの評価が高く、「今年の秋山は変わった」「今年はちがう」「今年こそ覚醒するんじゃないか」などと大きな期待を寄せられていた。だから当然、そのころのスポーツ紙は秋山を盛り立てる記事を書いていたのだが、私はあえて静観していた。
毎年のように「今年はちがう」と繰り返されてきた過去
その理由はこれまでの秋山にあった。2009年ドラフト4位で阪神に入団した秋山は、高卒ながら1年目(2010年)にいきなり1完封を含む4勝を挙げて脚光を浴びたものの、その後の6年間はたった2勝しかできず、おおいに伸び悩んだ。
その間、秋山は決してマスコミやファンから忘れられていたわけではない。それどころか毎年のようにキャンプになると「今年の秋山はちがう」といった論調がスポーツ紙をにぎわしていたのだが、いざ開幕すると、その期待を裏切ることの繰り返しだった。
なにしろ、昨年のキャンプもそうだったのだ。私が沖縄県宜野座村の阪神キャンプを訪れたとき、知人の阪神OBやマスコミ関係者から「今年の秋山はちがう」という話を何度も聞いた。だけど、やっぱり昨年も活躍できなかった。相変わらず二軍では無双とも言えるような好投を続けていたため、潜在能力の高さはまちがいないのだろうが、どういうわけか一軍では勝てなかった。二軍の帝王から一向に抜け出せなかった。
プロ野球界には昔からキャンプの時期になると必ず注目される選手(潜在能力に期待されている未完の大器)がいて、そういうキャンプ番長みたいな選手ほど公式戦では活躍できなかったりする。阪神では秋山がまさにキャンプ番長だった。彼のプロ2年目から昨年までの6年間、いったいどれだけ期待しては裏切られたことか。「今年の秋山はちがう」という言葉をどれだけ信用しては、ものの見事に裏切られたことか。
秋山に期待する気持ちをずっと我慢していた今季
そんなこんなで、今季の秋山はプロ8年目となった。今や私はすっかり秋山を信じなくなった。いや、正確には信じないように、そして期待しないように自分に言い聞かせるようになった。2月のキャンプや3月のオープン戦でどれだけ好投を続けても、期待したくなる気持ちを必死で我慢して、「まだまだ本番が始まってみないとわからない」「ここまではいつもの秋山だし」と口の中でつぶやき、見て見ぬふりをしていた。
その我慢は開幕してからも続いた。秋山が先発するたびにクオリティスタートを記録しても、私は浮かれそうになる気持ちをぐっと我慢した。巨人のエース・菅野智之と投げ合い、秋山が勝利をつかんだ試合のあとも、私は有頂天になるのを懸命に我慢した。
今季の秋山は確かに過去7年間とはちがうの“かもしれない”。ストレートの球速が上がり、球筋も目に見えて変わり、奪三振数も増えた。あの大きな体に似合う、本格派右腕としての色気をまとうようにもなった。気の早い在阪スポーツ紙や在阪放送局は、4月の段階から秋山がついに覚醒したと報じている。だけど、私はそれでも我慢した。まだまだ秋山はわからない。まだまだ絶賛するのは早い。まだまだ、まだまだ。