京アニ事件で問われた「実名報道」の課題
被害者の実名・匿名の問題は近年、公判に限らず、報道に関しても大きな波紋を投げかけている。インターネットの普及で、個人が自由に見解を発信できるソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の利用が進んだことで、メディアが被害者側への断りもなく、「真実を伝える」という大義名分の下、従来通りの実名報道を続けてきたことに対する反発は増している。特に、19年7月に発生した「京都アニメーション放火殺人事件」では、この問題が大きくクローズアップされた。
事件では、捜査を担当した京都府警が被害者遺族の意向を確認した上で、実名を発表するという対応を取った。この結果、府警が事件の死者35人の身元を早い段階で確認しながら、全ての実名公表をするのに1カ月を要した。この間、メディアは取材によって被害者名を把握しながら、報道する際の配慮を迫られることになった。
この事件でも、一部の被害者遺族は「実名報道」を求め、「自分の息子の存在を忘れてほしくない。35分の1ではない」と取材に応じている。府警が慎重な姿勢を取る間、ネット上では不確定情報が飛び交い、「正確な情報」を求める声も上がった。一方で、実名報道の正当性を主張するメディアに反発する声も多く、ツイッターで「真実を伝えたい」として情報提供を求めるメディアを誹謗中傷するツイートも散見された。
被害者がすべて匿名になれば「事実の記録」は困難になる
今回の相模原事件の被害者の実名匿名は、裁判所が主体となる話だが、メディアも他人事ではなかった。実際に、「名前だけでも法廷で実名にしてほしい」と要望したものの受け入れられなかった遺族の話をメディアは大きく取り上げた。ごく一部の被害者遺族の意向であっても、実名報道を貫きたいメディアにとっては、重要な存在だったからだ。
植松被告は初公判で起訴内容を認めたが、弁護人は「精神障害の影響で責任能力が失われていたか、著しく低下していた」として無罪を主張している。刑事裁判では、被告本人が起訴内容を認めても、別途、弁護人が無罪主張するケースは起こりうる。こうした点も含め、裁判官と裁判員は、法廷での植松被告の異常な行動も踏まえ、難しい判断を迫られる部分もあるだろう。公判は3月16日の判決まで長期に及び、紆余曲折も予想される。
そうした中、45人中1人しか被害者の実名が出てこない裁判をどう考えたらいいだろう。もちろん、被害者遺族の意向は最優先されなければならない。一方で、被害者が甲・乙・丙やアルファベットで呼ばれる運用も、やはり違和感があると感じる人もいるのではないだろうか。
被害者氏名がすべて匿名になった時、「事実の記録」は困難になる。一方で、被害者の人権は守られなければならない。メディアは今後の実名報道において、さらに葛藤を続けるだろう。被害者への細心の配慮をしながら、実名報道の原則を維持し続けるにあたり、社会のコンセンサスをどう得ていくか。今回の相模原事件の公判は、報道の根幹に関わる重要なテーマを問うものでもある。