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「ありのままの自分でいい」とかいう馬鹿の甘えが老害を量産する

馬鹿が馬鹿のままでいて良いわけなくないですか

2020/01/16
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ただ少し生き方に不器用だっただけで

 男性においても、思い通り、素直に生きるという人生の方針に目覚めて、勉強も研鑽も放棄したような人物が沢山います。私のようなアラフィフに近づいた人間の同期にも、大学を出たのに自由な生き方をしたいと言って就職活動を放棄しフリーターの道を進んで、いまでも同じように働いている奴らがおりますが、やっぱりちょっと可哀想な人生を歩んでいます。決して成績が悪いわけでもなく、人が悪いどころかむしろ良い奴で、ただ少し生き方に不器用だっただけで人間ここまで燻(くすぶ)ることができるのか、うだつが上がらないとはこういうことなのか、と感じさせる人物には事欠きません。

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 結局、世に言う「ありのまま生きる」というのは、自分をより高いところに導いていく努力をどこかで放棄してしまった人たちの自己憐憫の言葉なのかとすら思います。老害一直線です。

 時代も世の中も絶えず移り変わっていく中で、自分の生きてきた範囲内でだけ感じる「ありのまま」は心地よいかもしれないけど、スキルを磨き、人の役に立って初めて働く価値、生きる意味を感じ取れるのが人間社会である以上、時と共に変化し成長できなければ人生の醍醐味を失ってしまうのでしょう。

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思考停止がその後の人生を腐らせる

 確かに、いままでの延長線上で自分の人生の将来を見据えるのは仕方のないことですが、居心地のよいありのままの姿でいたとして、肉体は老いるし、知識は錆付き、スキルは遅れていきます。仮に若い頃頑張って良い大学に入ったとしても、そこがその人の人生のピークになってしまったのだとしたら、それは本当に自由にありのまま生きたことになるのでしょうか。

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 例えば、いま日経新聞で連載されている日本証券業協会会長で、元大和証券会長の鈴木茂晴氏の私の履歴書が超絶ヤバいんですよね。

 壊れたバイクを海岸に捨てたり、株式注文キャンセルの注文をやりすごすために顧客に嘘をついたり、いまなら違法で一発アウトと言いつつ、武勇伝として昔はおおらかでしたと豪語されている。あ、この人はありのままに生きてきた人なんだな、って。そういう人が出世して、日本経済の枢要なポジションに就いているというのは、大丈夫なんでしょうか。

私の履歴書 鈴木茂晴(11)支店 知らずに営業 客はヤクザ すすめた投資で損、大ピンチ
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO54260440Q0A110C2BC8000/

 自分を押し殺し真面目に生きた人が馬鹿を見て、好き放題やり多少のスネ傷は万事OKとありのままに生きる人がストレスなく出世していった結果、我が国の社会の上のほうは概ね自己研鑽も行わず遵法精神にも乏しい老害が占める現象って、つまりは「要領よく生きろ」と言われているようなものなんですよ。