「エース級を出せ!」の大号令で編成された「めざまし」チーム
―― 八木さんは『めざましテレビ』では『ズームイン!!朝!』に、『FNNスーパーニュース』では『ニュースプラス1』にと、日本テレビが独走している時間帯の対抗番組の立ち上げメインキャスターに起用されているイメージがあります。
八木 あんまり、そこに上の人たちの意図はないと思いますけどね。
―― その時、打倒日テレみたいな意識はありましたか?
八木 ないですね(笑)。なぜなら、今でこそ『めざまし』はあんなに続いてますけど、当時、朝は『ズームイン』の一強みたいな状態だったんです。日テレに対抗するなんておこがましいぐらい、比べ物にならない。視聴率10パーセント対1パーセントとか、そのぐらい差が大きかったですから。本当に何をやっても当たらなくて。私も、入社7年目で『めざまし』につくんですけど、それまでも3回くらい朝の番組やってますから、それが身に沁みて分かっているんです。今でこそ『めざまし』やりたいって言ってくれる人たちがいて、それはそれでとてもうれしいことだと思うんですけど、当時は「朝? また朝……?」みたいな(笑)。「1年ぐらい御奉公してきます」って、そういう感じのノリだったと思います。
―― それでも『めざまし』を開始するときは、かなり大掛かりなプロジェクトだったんじゃないですか?
八木 立ち上げる時は毎回大型プロジェクトのつもりですから(笑)。
―― 報道、スポーツ、バラエティ各部署からいろんなスタッフが集まるというのは、『めざまし』が最初だったんですか?
八木 そうみたいですね。いろんなプロジェクトはあったけど、今思うとですけど、いよいよ背水の陣だったんでしょうね。各部署から人員を出せっていわれた時に、最初は、それぞれの部署だって大変なんだから、みんな「えー」みたいな感じだったんだけど、上のほうから「エース級を出せ!」って指示されて、みんなワーッて癖のある人たちが集まって。エース級っていうことは癖のある人たちなんです(笑)。立ち上げの時、半年ぐらい前からみんな準備してるんですけど、会議のたびにみんなケンカしてる。大体、スポーツ局の人とバラエティの人と報道局の人が一緒にいるから、それぞれこだわりがあるんですよ。「スポーツでそんなのやれねえよ!」とか、いつも意見を戦わせてましたね。プロデューサーは元気な人だったので、「でもやるんだよ!」みたいな感じだったからまだしも、編成の人がほっこりした優しい人だったから大変だったと思いますよ。ネット局の人たちとも一体となってやるっていうのは当時あんまりなかったので、中継の調整とかもいろいろ大変で。
『めざまし』が始まって1カ月後ぐらいにネット局の人たちも集まって全体会議があったんです。そこでその編成の人がごあいさつってなった時に、「やっとここまで来られました」って言ってちょっと泣いちゃったの。あんまり大人が泣くっていうのを見ない時代だったから、本当に大変だったんだと思います。私もそれを見てすごく納得したから、私自身も大変だったんだなって、その時自覚しましたね。
―― すごい話ですね。
八木 だって、最初はまだ5時55分から8時まで約2時間の番組だったのに、初回の前日にリハーサルをやったら4時間あったんですよ!
―― 前日に!
八木 「明日これ入るの?」みたいな感じでした(笑)。立ち上げって面白いですよね。
やぎ・あきこ/1988年早稲田大学文学部卒業、フジテレビに入社。「おはよう!ナイスデイ」「めざましテレビ」「スーパーニュース」「明石家サンタ」など、報道・バラエティほか様々な番組を担当。2000年3月にフジテレビを退社し、02年結婚、アメリカに渡り、07年に帰国。09年から「BSフジLIVEプライムニュース」でメインキャスターを担当した。女優として『あまちゃん』『真田丸』『カルテット』などに出演。映画『みんなのいえ』ではアカデミー新人俳優賞を受賞している。著書に『その気持ちを伝えるために』。
写真=榎本麻美/文藝春秋
ヘアメイク=井上まみ